めくるめくメルク丸

ゲーム/哲学/人生

Switch Liteは買うな

 

f:id:lovemoon:20211112211635p:plain


Switch Liteが発売された。古参任天堂ファンとしては、もちろん気になる。

何しろこれまでの任天堂ハードは据置き機も携帯機もほとんど全て購入してきたわけだから、コレクター魂にも当然訴えてくる。275gという予想以上の軽量さには驚嘆したし(まさか3DS LLより軽いとは!)、外観もカラーバリエーションも素敵である。十字キーの復活もすこぶる嬉しい。最近追加された往年のFC/SFCゲームたちをこれで寝っ転がって遊べることを考えると心が浮き立ってくる。

 

しかし、このSwitch Lite。発表当初からどうしようもなくモヤっていた。何かが「根本的に間違っている」気がしてならなかった。

そうした所感はTwitterやゲームメディア記事でも散見された。Switch Lite発表時、よく見られたネガティブな意見に「外部モニタに接続することができず、携帯機としてしか使えないなら、それはもはや『Switch』と呼ぶべきではないのではないか?」というものがあった。さらに踏み込み、「外部モニタに接続させないのはコスト/スペック面での問題ではなく、あえて付けなかったのでは?」そんな憶測をする人もいた。

任天堂の戦略に関するそのあたりの推測や考察は、以下の記事に詳しい。

(決定的な確証はないものの)おそらくそうだろうなと、自分も思っている。
Switch Liteは従来のSwitchと差別化するために、コンセプト重視で「携帯専用ゲーム機」として売り出すこととなったのだろう。その方が売り文句としてキャッチーだし、Lite専用ドックやHDMIケーブルを別売りする必要もないし。

そこで話が終わればまあいい。Switch Liteは任天堂の最新携帯ゲーム機です。欲しい人は買いましょう。はい。それ以上つらつら記す必要もなさそう。

だが、Switch Liteの仕様と存在意義についてさらにしつっこく考えてみると、かつてなかったほど大きな違和感と任天堂に対する不信感が忍び寄ってくる……。

(……などと大風呂敷を広げてしまったが、とくに「ほおっ」と感心されるような話じゃない。たぶん。なのでここから先は、いち任天堂ファンによる蛇足、あるいは愚痴として温かく流し読んで頂ければ幸いである。)

僕がSwitch Liteにモヤっているのは、

たんなる「外部モニタ接続不可」に対する懸念ではない。この仕様によって露呈された任天堂の「ゲーム機の在り方」に対する抜本的違和感。つまりは今の任天堂のハード設計思想、さらには「理念」にまつわる問題ということになる(重い……)。

具体的に書こう。

あなたがSwitch Liteでゲームを遊ぶ時、当然、Switchをテレビなどの外部モニタに繋げて遊ぶよりも遥かに小さな画面(5.5インチ液晶)で遊ぶことを余儀なくされる。それは『ドラクエ11』だろうと『スマブラ』だろうと『スプラ2』だろうと同じだ。

ったりまえじゃん。んなこたわかってるよ。でもあれだけ軽くなったんだからありがたいじゃん。素直に買え。あなたはそう言うかもしれない(言わないかもしれないが)。

しかしSwitch Liteが持つ、かつてなかった特徴(特長に非ず)の本質をはたして誰もが理解しているだろうか?

 

この先の話をわかりやすくするために、これまで任天堂がリリースしてきた同社携帯ゲーム機の「リニューアル/バージョンアップ」を思いつく限り列挙してみよう。

ゲームボーイ(1989)→ゲームボーイポケット(1996)→ゲームボーイライト(1998)→ゲームボーイカラー(1998)

ゲームボーイアドバンス(2001)→ゲームボーイアドバンスSP(2003)→ゲームボーイミクロ(2005)

ニンテンドーDS(2004)→ニンテンドーDS Lite(2006)→ニンテンドーDSi(2008)→ニンテンドーDsi LL(2010)

ニンテンドー3DS(2011)→ニンテンドー3DS LL(2012)→new ニンテンドー3DS/new ニンテンドー3DS LL(2014)

ニンテンドー2DS(2016)→new ニンテンドー2DS LL(2017)

任天堂の携帯ゲーム機は長い歴史の中でこれだけ多くのバリエーションが展開されてきたわけだが、その基本思想は一貫している。要は、これら全て「携帯ゲーム機用に作られたゲームを遊ぶための携帯ゲーム機である」ということだ。

では、今回のSwitch→Switch Liteという流れも上記のバージョンアップ(軽量化)と同じ流れに含めるべきだろうか。

できない。そこにはどうしても拭い去れない違和感が残ってしまう。

理由は——明白である。Switchでこれまでリリースされているソフト(そしてこれからリリースされるソフトの多く)は、元々携帯機用に作ったゲームではなかった。ゼルダBotwにしても、マリオオデッセイにしても、スマブラSPECIALにしても、その他数多くのゲームにしても(Switch Lite発売前に開発していたことから鑑みて)「モニタで遊ばれることを前提」として作られたゲームであったはずだ。

「Switchでリリースされたゲームは携帯機で遊ぶべきではない」などと言うつもりはない。実際、自分もマリオオデッセイにハマっていた頃、テレビが使えない時は携帯モードで寝っ転がってムーン集めに勤しんだり、数多のインディーゲームの入ったSwitchを近所のドトールに持ち込み、喜んでプレイしていた。「据置き機として使えるが、携帯機として遊ぶこともできる」というSwitchならではのコンセプトをたっぷり享受していたわけだ。

 

ただし、ここがもっとも重要なのだけど——Switchの特性「携帯機として遊ぶこともできる」は、あくまで「据置きのゲーム機である」と両立しなければならないと固く信じている。

それはハード名に「Switch」を冠しているから——ではない。たとえ「据置き機←→携帯機」という意味が失われようと、「他機種からスイッチする」でも、「物理ボタン(スイッチ)が搭載されている」でも、意味はどうとでも後付けすることができる。ハード名の矛盾で鬼の首を取ったように騒ぎたてるつもりはない。


いささか前口上が長くなったが、僕が声を大にして言いたいのは、こういうことだ。

小型モニタがフィックスされている携帯ゲーム機において、「外部モニタで遊ぶことを前提として作られたゲーム作品」を専用ソフトとする——これは、任天堂ハード歴史において初めてのことであり(※1)、とてつもなくグロテスクに感じてしまう。

「いやいや、そりゃ画面ちっさいけど、なんとか遊べるぜい」「老眼にはLite辛いんだろ?」とか(たしかに辛いだろうが)、そういう話じゃない。


任天堂の「ハード思想/設計」がこのSwitch Liteにおいて、初めて不完全なものに成り下がっているのでないか?

そういう話である。
Switch Liteは外部モニタに繋げる機能が削られている以上、いちゲーム機としてきわめて不完全な製品であると言わざるを得ない。なぜなら、そこに挿す(DLする)専用ソフトは元来据置きをデフォとして作られたものなのだから(※2)。
「ジョイコン使用前提」ソフトに関してはジョイコンを買い足せば良いだけの話だが、モニタはそうはいかない。Switch Liteにおいては、Switchで発売されたソフトが一切合切5.5インチの液晶画面に「嵌め殺し」されてしまう。そのような歪んだ特性を、任天堂が最新ハードに積極的に採用したという事態を自分はなかなか看過することができないのだ。

でも、これまでだってゲームボーイアドバンスやDSの画面が大きくなったりちっちゃくなったりしてきたわけじゃん? あなたはそう言うかもしれない。

ノン、それは違う。アドバンスやDSで遊べるゲームはあくまで最初から携帯機用に作られたゲームに限っていて、多少大きくなっても小さくなっても支障ない範囲内における画面サイズ変化に過ぎなかった。

じゃあ、WiiUどうなんだよ? ゲームパッド。あれだって据置き用のゲームを携帯機みたいなコントローラーで遊べる仕組みだったじゃねーか。あなたはそう言うかもしれない。

いや、そうじゃない。WiiUゲームパッドはあくまで据置き機ゲーム機のコントローラーにタッチパネルが標準装備されたものだった。テレビを消してゲームパッド1台でプレイすることも可能だったが、それはSwitchと同じく、オルタナティブ(二者択一的)なハード特性だったんだ。

しつこく。

携帯ゲーム機として売るために「故意に完結させられた」Switch Liteは、3DSやWiiUやSwitchとは抜本的に異なる、クローズドで不完全な、どっちつかずのゲーム機だ。
3DSに次ぐ「任天堂の新携帯ゲーム機」として売り出すために、SwitchをSwitchたらしめる「外部モニタ出力機能」を戦略的に抹殺されたSwitch Liteを、僕はどうしても3DSの後継機として認める気にはなれない。


そして上記の懸念は、僕が任天堂に対して初めて抱いたプリンシプル(原則)の揺らぎである。この抜本的な違和感が消えない以上(つまりは外部モニタ出力機能が追加されない限り)、僕はSwitch Liteを購入することはできない。

冒頭にも書いたように、Switch Liteの魅力はじゅうぶん感じている(認めないことと魅力を感じることは別だ)。
Switch Liteを外に持ち出し、電車の中で『Slay the spire』を遊んだり、ベッドに寝ころがりながら『ゼルダの伝説 夢をみる島』をプレイする時間はどれほど幸せだろうか。夢想するまでもない。そして多くのユーザーは僕が上記に書いたようなことは理解した上で、Switch Liteを喜々として買っていくのだろう(※3)。

あるいは来年、自分も酔っぱらった帰り道に立ち寄ったヨドバシカメラで『あつまれ どうぶつの森』とともにあっさりLite買っちまうかもしれない。どうせ購買意欲を掻き立てる同梱版が発売されるはずだろうからな……そうして認めがたいゲーム機を買ってしまった後ろめたさと敗北感とともに、ドトールや駅のベンチで、グレーのSwitch Liteを握りしめて『あつまれ どうぶつの森』をこそこそとプレイしている自分の姿がほの見える。

でもその時が来るまで、僕はSwitch Liteにはなるべく近づかずにいようと思う。そしてこのように面倒なことを延々と書き連ねている僕のような歪んだユーザーは「お呼びじゃねーんだよ」と言われたら、返す言葉はもちろん、ない。

 

※1 唯一の例外はゲームボーイプレイヤー(2003)年である。これはゲームキューブに接続して、ゲームボーイのソフトを「外部モニタでのみ」プレイ可能にするコンセプトの機器で、Switch Liteとは逆の構造だが、設計思想としては非常に近い。
ただ、こちらがあくまでゲームキューブの「周辺機器」に過ぎないことを考慮すると、単体のゲーム機として完結しているSwitch Liteはやはり任天堂のハード歴史上、きわめて特異なハードであると言わざるを得ない。

※2 Switch Liteは任天堂携帯ゲーム機の後継というより、『ポケモン』『どうぶつの森』新作専用機と捉えるべきかもしれない。というのは、両作品は任天堂がSwitchで開発した作品では初めて「携帯モード」で遊ぶことをデフォルトに開発しているような気がしてならないから(個人の憶測である)。

※3 Switch Liteは『ポケモン』『どうぶつの森』をプレイする児童(n-stlye氏の記事で推論されているように)や、これまでSwitchを所有していなかった一部の女性ゲーマー層向けに加え、すでにSwitchを所有している成人が外出先やプールサイドなどで使うために購入する「富裕層ゲーマー用」の需要も大きいと見込まれているように思う(それに対する文句はとくにない)。