めくるめくメルク丸

ゲーム/哲学/人生

『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…』に捧げるこの道・我が旅

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今から遡ること30年近く前のこと、私が小学校(K市立第八小学校)を卒業する1ヶ月半ほど前のこと。それはやたら寒い日だったように記憶しています。ぼたん雪かみぞれ雪が降っていたような気がする。

そう、それは忘れもしない2月10日、水曜日。『ドラゴンクエストそして伝説への発売日。
この日、クラスの半分以上の小学生男子と僅かな小学生女子は、ドラクエのことしか考えていなかった(はず)。もちろん、私も。しかし、発売日にこのゲームを入手できた幸運な輩はそこまで多くはなかったように記憶しています。


そして
私はと言えば、当時親しくしていた近所の、小さなゲーム店の主人が取り置いてくれたおかげで(そして快く買い与えてくれた母親のおかげで)、幸運にも発売日の夜にプレイすることができました。それについては今も感謝の念を忘れていない。

そして手に入れたドラクエとともに、小学校生活最後の1ヶ月を慈しむように過ごしながら(闇に覆われたアレフガルドのような中学校生活のことなどまだ知らぬままに……)、無我夢中になってプレイしました。正確な日数までは憶えていませんが、おそらくクリアまで2週間前後かかったように思います。

そして『ドラゴンクエスト』をクリアした翌日、私は或る思いを自分自身に、さらにクラス(6ー1)中の同級生に宣言しました(以下、たぶん原宣言ママ)。

「オマエラ聞いてくれ……オレは、この先、どんなことがあっても、いくつになってもファミコン(その後も任天堂ハードで供給され続けるであろうゲームハードとソフトの意)やり続けるからなっ!」

(拍手と歓声は響かなかった)


「死ぬまでドラクエやり続けるからなっ!」
とは言いませんでした。言わなかった自分を褒めてあげたい。なにしろ、未だドラクエX未プレイ勢なので…。

そして思い返してみると、自分にとって『ドラゴンクエスト』のみが「大人になってもゲームやめんぞ」と誓わせる要因となる、唯一無二の作品だったわけではありません。

何しろ当時の私たちにはナムコ(バンナムじゃないナムコ)がありました。コナミ(在りし日のコナミ……!)もありました。カプコン(カプコンは現在も比較的良メーカーだと思っている)もありました。ハドソンがあり、ジャレコがあり、データイーストがあり、タイトーがあり、ケムコがあり、カルチャーブレーンがあり、ヒューマンがあり、デービーソフトがあり……その他にも愛すべき数多のソフトメーカーが存在していました。

そして言うまでもないことですが——家庭用ゲーム界には胴元メーカー「任天堂」が君臨していました。思えば、私は「ファミリーコンピューター」という歴史的ハードを作ったばかりか、自社でも多くの素晴らしいソフトを供給していた任天堂という会社に対しても、深い感謝とある種の忠誠を誓ったのだろうと思います。

そして私は小学校を卒業してからも、なんやかやありつつも——どうにかヴィデオゲームなるものをプレイし続けてきました。スーファミはもちろん、学生時代はバイト代はほとんどゲーム代に回し、プレイステーション、セガサターンのソフトもずいぶん遊びました。年甲斐もなく、初代ポケモンはミュウ含む151匹を全て収集しました(えへん)。

若かりし頃にゲームを遊びまくったおかげ(と言うべきか)で、大学卒業後は、某大手出版社T書店に潜り込み、Ninitedo64やポケモンにまつわる雑誌編集に携わりながらゲームを続け、攻略本を数冊作り、その後もゲームをプレイし続けてきました。

そして時は流れ……3月11日のことです。

明け方に店仕事から疲れて帰宅し、WiiDLした『ニックスクエスト』というゲーム(ギリシャ神話をモチーフにした興味深い横スクロールアクションゲームです。たぶん知ってる人はあまりいないでしょう)をプレイしていた明け方、部屋が「ごどん……!」と大きく縦揺れしました。

その時、私はドラクエ終盤、「ギアガの大穴」という名の大穴に落ちた時のことを鮮烈に思い出しました。同居猫をリュックに無理やり押し込んで外に出ると、実際にごごご……と地響きがして、ひゅうん、という音が聴こえた気がしました。翌日、世界は(節電の為に)本当に暗転し、闇の世界アレフガルドを想起しないわけにはいきませんでした(不謹慎かもしれませんが、真正の記憶です)。

そして
私は東日本大震災を間接的なきっかけとして、東京都・多摩地区で小さな喫茶店を始めることになりました。少ない余暇には本を読んだり映画を観たり……でも、基本的にはゲームしてましたね。やっぱり。

201911月現在、私の小さな机にはPS4PSVRXbox one、Nintendo Switchが鎮座ましましています。齢12歳の時、同級生たちに宣言した通り、私はミドルエイジとなった今でもゲームをやり続けているわけです。

同級生と自分への約束を守って——というわけでもないのですが、任天堂が発売した据え置き機と携帯機は全て、セガやsony、Microsofが発売したハードまでほとんど購入してきました。それについて誰が褒めてくれるわけでもないし、とくに褒めてもらおうとは思っちゃいないのですが、私はこれからもゲームをやり続けていく、そしてゲームについて記し続けていく所存です(やれる限りは)。そしてまた、今もどうにかゲームできていることに、『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…』に、少なからず感謝しています。たぶんね。

最後に「腐れゲー道」というゲームブログを紹介させてください。

あの頃、私とともにファミコンに熱中していた友だちはもう誰1人としてスマホゲー以外のゲームを遊んでいないようです。そのことをつい先日、小学校の同窓会で確認しました。

でも、もし彼らが今でもあの頃のようにドラクエをプレイし続けていたら?

もうあの頃の無邪気さは微塵もないし、ゲームへの純粋な喜びはあまり感じられないけれど、きっとゲームは私にとっても、彼らにとっても「暇つぶし」でも「娯楽」でもないでしょう。それを何と呼ぶべきだろうか? 執着? 拘泥? 義務?……わからないけど、とにかく私同様——と言うのはいささか僭越ですが——幼少期からゲームを渋々と、延々と、淡々と続けてきたゲーマーのリアルな歴史と所感がここにあります。

昨今、Twitterやゲームメディアで、ゲームをまったき「批評対象」として捉えた優れた文章と出会うことができます。しかしゲーム(なるもの)に対して、喜びも打算も連帯もなく日々黙々と続けてきた、古参ゲーマーの声に、私は今も激しく打たれる。

「ゲーム」は私たちの世代が放課後にファミコンやスーファミで遊んでいた素朴な時代と比べれば、グローバルでイノーモスなマーケットを確立し、ポップカルチャーとして「比較的公正に」捉えられつつあります(その扱いにまだまだ文句はありますが)。

しかし過去に拘泥したまま、否応なしに使命感と義務感と何らかの感情を感じながら、最新のドラクエをプレイする古参ゲーマーは今なおここに存在している。そのことに私は強く励まされるし、激しく鼓舞される。自分もあの頃の気持ちを(なるべく)忘れずに、いや、たとえ忘れてもゲームを虚心坦懐にやり続けていよう……そう心新たにする。そこにゲームがある。ゆえにゲームする。Just do it. 

ここには著者ota氏の力強い文章力と、洞察力と、粘り強さと、長年付き合ってきたであろうゲーム(なるもの)に対する真っすぐ、かつ屈折した……簡単にはまとめられない、ロング・アンド・ワインディング・ゲー道を歩む男の冷めた熱い思いが、びしびし顕れていると感じます。

そういうわけで、ota氏のドラクエXI決定的感想文はこちら。ドラクエファンなら、必ずや最後まで読む価値のある名文です。
そして、いつか、たぶん、きっとドラゴンクエストⅫへ……。