めくるめくメルク丸

ゲーム/哲学/人生

2021年・私的Game Of The Year5選

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あけましておめでとうございます。今年は面倒な前口上なしで、さっそくいきます!

●私的GOTY第5位『リーガルダンジョン』(Steam/PS4/Switch)

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ゲームについて記すのは、すこぶる楽しいけど、独自の困難さを伴う。
が、本作のような文字だらけの可愛げのない(と言うべきか)ゲームについては、その難易度がさらに跳ね上がるように思う。

何故か?

このゲームにはわかりやすいカタルシスというものがほとんどない(活字中毒者には活字的悦楽をもたらすだろうし、ゲームメカニクス的にも一応はあるのだが)。キャッチーなキャラクタービジュアルもない。BGMは何やら…総じて暗い。シナリオは骨太で、硬派な警察小説を読んでる感じに近い。

が、ページを不可逆的にめくり続ける「小説」と本作が抜本的に違うのは、

本作には本作を「ゲーム」たらしめている、たしかなインタラクティブ性がある。

では、その「ゲームたらしめるインタラクティブ性」とは具体的には何か?

広義すぎて何を言ったことにもなりゃしないこの「インタラクティブ性」とやらを、ひとまず、ざっくり定義しなければ話が進まない。

なので、しよう。今作におけるインタラクティブ性とは、

「プレイヤーが自身の行為/選択によって此の世界の真相/実相に近づける」こと。

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本作において、プレイヤーはエリート(街道に乗って現れた)捜査課長・清崎蒼(きよさきあおい)となって、入り組んだ、現実味溢れる(つまり、ほぼほぼ気が滅入る)事件(かの『逆転裁判』のように、キャッチーだったりコミカルだったり非現実的だったりする事件はない)をつぶさに解決していく。これがプレイヤー/主人公の「行為/選択」である。
その「行為/選択」は、空白欄にキーワードを嵌め込み、意見書を仕上げ、最後に被疑者に尋問(主人公の脳内における架空の尋問らしいのだが、それについて考察するといっそう出口が見えなくなるので割愛)することで成り立っている。おおむね。

が、被疑者の有罪/無罪は「事件の真相」として前もって存在しているわけではない。


どういうことか?


「此の世界の真相」は、意見書を作成し、尋問を為すこちらの「切り取り方」であっさりと真逆に変わって/変えられてしまう。ゲーム内に表出する太文字メッセージから引用するなら、

「真実」は意見書の中にのみ存在する/意見書に「感情」は存在しない。

現実における検察と警察との「大人な(了解された)」関係性、為すべき仕事内容(繰り返すが、それは「真実」を明かすことではけっしてない)を掴みながら、「お仕事」をこなしていく警察シミュレーション。それが本作『リーガルダンジョン』のアルファである(しかし、オメガではない、ということがポイントかもしれない)。

「HP」「MP」「ランク」といった用語がどうにかゲームらしい「てい」を保っているが、ガワをかいつまんで言うなら、ひたすら証拠/事実を集めて(書類を読んで、嵌め込む)脳内尋問をして意見書を作成していく、それだけのきわめて地味なゲームである。さらにそこには罪悪感と「これで良かったのか?」といった、後ろ髪を引かれる忸怩たる思いが伴う。

そこで、プレイヤーはこう思う。


なんだって、そんな作業をゲームでやらにゃならんのか? 現実の仕事だけでも充分気が滅入るのに、と。


本作をプレイしていると、自分が間違った迷路に迷い込んで、もはや後戻りできないムードにずぶずぶ気が滅入ってくる。この感じ、所謂「お役所」に身を置いている時の気の滅入り方にかなり近い気がする。
汚職に手を染め続ける政治家や「忖度」を計り続ける公務員とかって、こんなような気分なんじゃないか? プレイ中、ふとそう思ったりする(無論、現実はゲームよりもさらに奇であり、出口なき世界であろうが)。

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作者SOMI氏は現実世界において、このような職場環境に身を置いていたらしく、自身の作品を「罪悪感3部作(本作『リーガルダンジョン』は第2部)」と命名している。
たしかに、この絶えず後ろ髪を引っ張られているような「嫌な感じ」は、ある種の普遍性と今日らしいリアリティを持ってひたひたと迫ってくる。

ところで本作はそれなりに話題になったものの、インディー/ノベルゲームファンの間で局地的に盛り上がった程度の盛り上がりだったように感じる。
個人的には、ノベル/ADVゲームの新たな可能性を開拓した画期的な作品ではないか?……と思いつつ、本稿をしたためております。


「ノベル/アドベンチャーゲームの新たな可能性」とは何か?


ひと言で言うのはやはり難しいのだけど……ひとまずは「謎/真相の潜ませ方(その深度)」と定義しておきたい。

アイマイすぎる、ね。自分でも何だかしっぽの先にどうにか触れている感じがしているだけです。ただ、これだけは言える。

本作における「真相」は用意されたエンディングの内には存在していない。

13+1つある(と言われる)エンディング全てに辿り着いても、プレイヤーは真相を知ることができないんである。それは明示されることは決してない。こちらにできるのは……ただ推量、想像、断定することだけだ。

人物グラフィックは進行/ナビ役の「あおい」(なぜ、彼女が主人公と同じ名前なのか? ここでは、彼女はナビ役であると同時に自身の「オルターエゴ」であるから、という安易かつもっともらしい説明に留める)のみ、剝き出しに並んだフローチャート/分岐節、無機質なテキストをゲームのメイン画面に据えるという荒技は「インディーゲーム」というニッチな(もはやニッチとは言い難いカテゴリーとも言えるが)形態ならではだし、前述したように、「裁き」をこちらの裁量で「有罪/無罪どちらにも運べる」というのは本作のオメガであろう。

そして「選択」を為す自分自身も、或る巨大なシステムの1部に過ぎないという無力感。絶望感。諦念。結局のところ、大局的な意味では自分は何ひとつ選んじゃいない。運命決定論。歯車一部感。選択権が一切合切剥奪された現代社会への警鐘。言い様はどうとでもあるが……。


と、に、か、く。
冒頭に述べた、ゲームにおける「インタラクティブ」といった要素は本作において、「恣意的な選択」「分岐」という形でたしかに存在してはいる。そう、見かけは。

「だがしかし、」と言うべきだろう——ここで我々が得られるインタラクティブ性を、作者SOMI氏は「実際に我々が選択できる(した)ことは何ひとつない」という、アイロニカルかつ、リアルなメッセージとして真っ向から否定/主張する。
そのことが、いくつかのエンディングを見た後、プレイヤーには身にしみて理解る。本作『リーガルダンジョン』はそんなSOMI氏のメッセージ性を真っ向から伝える、案外とストレートな作品でもあるのだ。

本作について、SOMI氏はインタビューで下記のように直截的に述べている。

なぜ、こんな退屈な事務処理シミュレーションゲームを作ったのか?私は、ゲームのプレイヤーに対して、本当にプレイヤーに選択肢があるといえるか、と問いかけたかったのです。 彼らが現実の世界で全く同じ環境にいた場合、平均的な警察官の選択とは異なる他の選択をすることができるかどうか、を問いかけたかったのです。


余談だが、本作は日本語ローカライズが本当に丁寧で細やか(なんて言葉じゃ褒め尽くせない)で、いくら褒めても褒めたりない。そのくらい、満足度/違和感の無さが凄かった。もし全編英語でプレイしてたら、全然違った所感だったように思う。あるいは機械翻訳まる写しのようなつたない翻訳だったら!きっと吾国のプレイヤーの多くが投げ出していたのではないか。ありがとうありがとうありがとう。

心から感謝すべき功労者はかの名作『グノーシア』の製作チーム、プチデボットしごと氏/ことり氏(ことり氏はキュートかつクールなビジュアル書き下ろしも!)。下記インタビューもぜひっ。

●私的GOTY第4位『A ShortHike』(Switch/Steam)

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本作の初リリースは2019年なので、今年の私的ランキングに入れるのは少し躊躇したのだけれど、今年初めてプレイした時の衝撃は此のコロナ渦中において、よりいっそう特別なsomethingをまとっていたように思うから。
そして本作も前稿に書いた『リーガルダンジョン』同様、自分がゲームに対して幼少期から求めているエレメンツ(とは?)がきわめて濃厚に、多量に含まれているように感じたから……どうしても入れておきたかった。

今年初めには海外のゲームアワードや国内レビューなどで軒並み「傑作」と評されていた本作、自分はろくすっぽ知らず、ある日Switchストアでたまたま見つけ、軽い気持ちで購入し(安いし、可愛いし、良くできた癒しゲーだろうな…というようなノリで)プレイし始めるやいなや……虚を突かれた。
それはもう、最上級に良い意味で。情報や評判とは無関係な「ひょんなゲームとの出遇い」はことさら強いインパクトを残すものではあるが。

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そう、『A Short Hike』はプレイ前からなんとなく思ってたゲームとはだいぶん違った。本作を「癒しゲー」などというアイマイな文句には帰着させたくない。
例えるなら、凍え死にそうな思いで寒い雪山を登る途中、身体の芯まで暖まりそうな温泉を見つけて、浸かってたら、あれ…自分…え、泣いてる???
そんな白濁色した魔法の温泉、そんな温泉がほうぼうにあるフレーストニア——桃源郷——比類なきゲームである。

しかしこのようなゲーム世界は、心身ともに凍えきった「のっぴきならない」状態を知らぬ者にはけっして創り出せぬ場所ではないだろうか。
「他者に対して本当に優しくなれるのは、絶望の淵を覗いた者だけだ」
キュートで、拍子抜けするほどソフトなアトモスフィアは、作者の心の際限ギリギリからほとばしり、荒んだ心を包みこむ巨大な優しさに担保されているように思う(これは本文の末尾でもう一度強調することになりそうだ)。

呆気にとられるほど短いボリューム(ゲームに慣れたプレイヤーならエンディングまで2時間かからないだろう)も、いちいち琴線に触れてくるような繊細な旋律も、グラもキャラ造型も、パーフェクト。余すところなし。
「泣いた」っていうのはゲームの感想として極力禁じ手にしたいところだけど、事実、本作プレイ中は軽く泣きながらプレイしてたように思う。それは「悲しみを了解している人がこの箱庭をこしらえてくれたのだ」といった実感、有り難みに根ざしている。

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良い歳した大人が、気持ち悪い?
や、そりゃもちろん、この歳になって、ゲームして泣くなんてそうはないですよ(が、今年は珍しいことに、本作を含めて数本あったのだが、それはまた別稿で……)。
本作で流した涙はおそらく前述の「大きな優しさ」に触れた由縁と思う。それは製作者の持つ心の優しさであり、その優しさがピクセルドットの隅々まで反映された『A Short Hike』の持つ優しさであり、さらに言えばゲームそのものが持つ優しさだった気がしている。

……いささか主語大きく、話も広がりすぎたので、このあたりで終わらせるのがレビュー的にキリが良いかもしれないが、せっかくの個人的所感note、もう少ししつこく書いてみよう(もうしばらくお付き合いください)。

本作『A Short Hike』の、もっとも希有な魅力とは?


「ゲームの楽しさ/愉しさ」、その根っこを「ほら」とばかりに差し出してくれたこと。楽しさ/愉しさと書いたが、本作をプレイしていると、「楽しさ」とは「愉しさ」に繋がっているのだ、と実感できる。

それはたとえば空を飛ぶことであり、山を走り回ることであり、泳ぎ回ること。「黄金の羽」を取り、より高く飛び、より高く登ること。すなわち『短きハイキング』のイッサイガッサイを楽しみ、愉しみ尽くすことだ。

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本作の根本に、かのゼルダBotWを挙げる方も多数いらっしゃるが、自分は(いかにも古株ゲーマーっぽくて少々面映ゆいのだが…)ナムコ84年の傑作アクションゲーム『パックランド』感動をまざまざと思い出したのだった。

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『パックランド』は言うまでもなく2Dゲーム世界だが、屋根に上ったり、モンスターたちの頭を飛び移って山を越えたり、妖精さんからプレゼントされた魔法の靴で重力を克服して空を飛べるようになったりと……「飛ぶ」ことで世界の見え方、世界のルールを変える/ルールが変わる歴史的作品であった。

さて、本作『A Short Hike』はどうか。黄金の羽を取ることで、主人公クレアは飛行能力を得、滞空時間を長くし、やがては島中を飛び回り、これまでは(見えているだけで)行かれなかった場所へ足(羽根)を運ぶことができる。

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そこにはたいていプレイヤーにとって嬉しい「something」がある。それは別の黄金の羽だったり、未知のアイテムだったり、新しい道だったり、コインだったり、見晴かす景色だったり、知らないキャラとの交流だったりする。それを成長と呼ぶこともできるだろう。
(下記は、本作の面白さのメカニズムを主眼において書かれた、細やかで読ませる記事。執筆者のたかくら氏は、本作の面白さの抜本部分は「成長」がもたらすものであると看過している。)

そう、たしかに本作の面白さは、いや、殆どのゲームの面白さは、成長と、成長がもたらす「行動の拡大」を味わうことに尽きるのかもしれない。
さらに言えば、人生の面白さ(もし人生が面白いものなら)も、「成長と行動の拡大」に尽きるのではなかろうか。

動ける範囲が広がること。為せることが増えること。知識と知恵が増えること。得られるもの、見える世界、他者との出会いが連鎖していくこと。精神と肉体の成長によって人生の深み、妙味、やるせなさを知ること。(それは人生のほんの短い期間に過ぎないかもしれないが……)

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さらに本作からしっかと感じられる「有限性」も、「ゲーム」「人生」を面白くしてくれる大切なエレメンツであると感じる。
もし本作がプレイヤーが把握できないくらい広大なマップ、憶えられないくらい多くのアイテム/キャラクター数を有していたら、本作の希有な魅力は半減、どころか抜本的に違ったものになってしまっていたはずだ。我々は「小さな島」から出られないガラパゴス人生からこそ、見えてくるものたち、出会える者たちがたしかにあって、その気になればそれを楽しむことができるのだ。

『A Short Hike』。全ゲーマーのみならず、現世界で人生を生きる全人類にプレイしてほしいと心から願う。このゲームをプレイする人が増えるほど、この世界の「優しさ」の総量は少しだけ、でも確実にその目盛りは上がるのではないか。それで多くの「戦い」(対国家、対自己、対他者)がほんの少しだけ減る……かもしれない。

「ちゃんちゃら可笑しな」甘ちゃんゲーマー理想論かもしれない。でも、本作には、ゲームには、そんな力が確かに宿っていると筆者は感じるのだ。
『A Short Hike』の持つ優しさは、現実に、あなたや私や彼や彼女——最初はたった1人の心からじわりじわりと広がって、やがては此の世界を芯から暖まる温泉のように満たしてくれる。たぶんきっと絶対。

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●私的GOTY第3位『ナビつき! はじめてわかるゲームプログラミング』(Switch)

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「ゲーム作りは面白いゲームに成り得るか?」

そんな困難な命題に対して、任天堂が35年ぶり(ファミリーベーシック以来)にゲンブツを以て答え、それが「ばっちり面白い!」という意味でも、プログラミングやゲーム作りの敷居を、Nintendo Switchというファミリーコンピューター以来に普く普及した比類なきゲームハードで一気に下げたという意味でも、巨大な意義があったと思える本作を、2021年の私的GOTY第3位に置く。

しかし本作発表時、個人的な興味/関心は皆無であった。元々、自分は所謂「ツクール系」やクリエイト/エディット系のゲームには手が伸びないタチである。作る暇があったらプレイしていたいし、その面白さを言語化する方がずっと愉悦を感じるし、性に合っている。

しかし2021年初夏、本作の発売日から数日、本作でさっそくゲーム作ってアップしてる人たちのツイートを見て慄いた。その声色は、昨今あまり見られないようなゲームへの原初の喜び、「新しい面白さ」に触れている渦中に居る者たち特有の「あの高揚感」にみちていたのだった。

う、面白そう……! あ、俺もなんか作ってみたい……! や、べつに作れなくたっていい。誰かがこしらえた、未完成だったりくだらなかったりするゲームを浴びるようにプレイしたい……!

そうして気づいた時には、本作を購入していた。

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「ゲーム」とは、

誰かのプレイ動画を見たり、解説や批評をいくら読んだところで、結局のところは「やらねばわからぬ」娯楽/芸術であろう。
そして「ゲーム作り」も、作ってみるまではろくすっぽわからない。わかりっこない。本作をプレイして、実際に作ってみて、それを痛感した。

ゲーム作りはこれほど面白く、これほど面倒なものなのか。苦労してこしらえたゲームを見知らぬ誰かが遊んで(うまくいけば感想まで)もらえるというのはこれほど嬉しいものなのか、と。
その意味で、本作は『つくって「はじめてわかる」ゲームプログラミング』というタイトルが相応しかったようにも思う。冗談抜きで。

ただ、自分は本作をクリエイト・エディット系ゲームというより、「パズルゲーム」の一種として捉えているふしもある。
キュートなノードンたちの役割(その1体1体に個性的でキュートなデザインと語り口が用意されていることは驚くべきことだ)をやんわり理解し、彼ら/彼女らをああでもない、こうでもないとジョインしていくことで、漠然と思い浮かんでいたゲームを形にすることができる。無理に物語を作る必要もなければ、背景を描く必要もない(もちろん描くこともできる)。

 

しかし、見知らぬ誰かにプレイしてもらえるくらいまともなゲームを作るためには、思っていた以上に時間と手間がかかる。とくに自分のような不慣れなゲーマーにとっては。
それでも自分のような者がストレスレスに(全くないとは言えないが)作り続けることができたのは、本作が隅々までいかにも任天堂らしく、直感的で、清潔で、生理的な心地よさに担保されているからだ。
『はじプロ』は『Nintendo Labo』『マリオメーカー』シリーズで着々と培われてきたノウハウと継続の成果と言えるだろう。

ナビゲーションと「教育」

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『はじプロ』は暴力的と言えるほどの資産とセンスで、作り手/遊び手の精神を中和してくれる。その是正力、圧倒的な陽のエネルギーは、Appleがリリースした『Playgrounds』、その他リリースされた数多の玉石混交ビジュアルスクリプト系と比べて、はっきりと抜きんでた「ナビゲーション/教示力」があるように思う。

その「ナビゲーション/教示力」を細分化すると、優れたUI/UE、耳馴染むBGM、ナビ役「ボブ君」「アリス嬢」のキュートな語り口など——つまりは「任天堂らしいとっつきやすさ」という言葉に収まってしまうのだけど——それだけでは足りない、何か命名し難いエレメンツがあると感じる。
フラットでユニーク、ポップでキッチュ、イマジナリーでフレンドリー……いやいや、横文字を並べたところでこの感じを言い当てることはできないようだ(今後の宿題としておきたい)。

とにかく、自分は本作に任天堂だけが成し得る、末恐ろしいほどの「教示力」をひしひし感じたのだった。今後、任天堂がもしこの力をフルに使って「教育」の分野に舵を取ったら、前人未到のイノベーションが起こせるのではないか? と夢想させるような……。

リメンバー・ザ・はじプロ・ゲームズ…

結局、自分は本作で誰かが喜んでくれるような面白いゲームを作ることはできなかったけど(ノベルアドベンチャーゲーム、みたいのを作ろうとしたのが間違っていたのかも…!?)、センス・オブ・ユーモアと豊かなアイデアに溢れるゲームたちを、夢の世界がしばらく『はじプロ風』になるほどたっぷり遊ばせてもらった。
その中から、ほんの僅かな数のゲームたちを紹介させて頂く。

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「この先に彼女が」
筆者の作りかけ横スクロールノベルゲームです。いつか完成したら(笑)アップします

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「エースのとっくん」
かの『リズム天国』を彷彿とさせるリズムアクション。BGMも最&高

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「フリーキック」
クマちゃん、良いわー。何故か名作サッカーゲーム『リベログランデ』を思い出した

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「探索×パズル PUZZMETRO」
ニカイドウレンジ氏の大作。タイトル通り、パズル×メトロイド的超良質探索ゲー

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「シューティング」
……アレです。ちょっとアダルトなシューティング。イラストも素晴らしい

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「Pacman Multiplayer」
モンスター動かないのはアレですが……驚愕ものの完成度/パックリスペクト

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「人魚の宝探し」
人気ゲーム系YouTuber「たくらぼ」氏の本気作。凄いのでぜひやってほしい。

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「Pokemon Pallet Town」
ぱっと見ホンモノにしか見えん…(ただしタウンを出ることは不可能)。

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(註)こうした凄いゲームを作ろうとすると、楽屋裏はこんなスパゲッティ乾麺を床にぶちまけたみたいなことになっちゃうわけで……(無理)


『はじプロ』とは…
クリエイト魂にばっちり火を点けてくれた本作、たとえそこまで売れなかったとしても、この小さな灯火を絶やさないでほしいと強く願う。
そしてもっともっと簡単にゲームが作れるように、もっともっとバラエティ豊かなものを作れるように、バージョンアップした『ナビつき!つくってわかるはじめてゲームプログラミングPart2』(仮題)がリリースされますように。
(そしていちファンとして、本作に近い志を持つクリエイトゲーム、プチコンシリーズ『Dreams Universe』もいつまでも続くことを祈る。)

『はじプロ』は任天堂にとって、まだまだ「ゲームを作るゲーム」の萌芽であり、前哨戦に過ぎないのだろう。そのまったき価値が証明されるのは、本作をきっかけにゲーム作りを始めた者たちが、未来の名作を生み出す時である。
個人的には、いつか本作を土台にした本格ゲームエンジンを任天堂に作ってほしい。UNREAL ENGINEとUNITYの2強であるゲームエンジン世界がや、現世界ががらりと変わるのも夢ではないのでは!

と、無体な妄想を膨らませてしまうほどに、『はじプロ』は最高の「ゲームを作る最高のゲーム体験」である。ぜひ今からでもプレイしてみて頂きたい。そして、作ったゲームをぜひ筆者に遊ばせてやってください。

 

●私的GOTY第2位『すみれの空』 (Switch/Steam/Mac)

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プレイ中は恥ずかしながら涙そうそう、Twitterでも我を忘れて推しまくった作品である。また発売直後、自分的には相当暑苦しい記事をメインのブログにも書いている。

なので、ここでも批評的視点からは遠く遠く離れて、主観的に推しまくっていくほかなさそうだ。

どうして自分はそこまで本作を推しまくるのか? 

「心動かされたから」に尽きる。

もし、あなたが筆者(ラブムーと申します)をご存知で、僕に対してさほど好意も興味も持っていないとしても(あるいはめっちゃ苦手だとしても…)、あるいはたまたまこのブログを読んでいらっしゃるとしても、ぜひ私めの『すみれの空』への「推し」を正面から受けて頂けるとありがたいです。

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つまりは、買って、プレイして頂きたいのです(今日はただそれだけのために書いている気がする)。
とくに、何か大事なことを忘れてしまった(ことさえも忘れてしまった)老若男女に、全身全霊でイチオシしたい。もしプレイされるならこの先は読まずとも、さっそく以下Nintendo Storeより購入/プレイを。

尺の短いゲームなので(映画1本観るくらいの体感時間のはず)、自分は本作を最初から最後までたびたびプレイしているのだけど、何度プレイしても、自分の心にびしびし響きまくる。ほとんど前世くらい遠い昔、小学校の視聴覚室で見た、タイトルをすっかり忘れてしまったアニメ映画のように。

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ただ、正直に書こう——本作は、登場人物の造型もストーリーテリングもいささか類型的である。あたかも現代版『日本昔ばなし』、あるいは小学校の「道徳」の授業で使われそうな、清廉な「説教感」に満ちているな……と感じるプレイヤーもいらっしゃるかもしれない。

安っぽい演出で所々白けてしまうシーンも多いし(具体的に例を挙げると——祖母の遺影がウインクしたり、重要なシーンでチープすぎるSEが入ったり、既視感のあるキャラクターデザイン)、昭和の少女マンガ(『りぼん』や『ちゃお』)を思わせるようなベタな描写や台詞も少なからずある。

要は、濃いゲーマー/シニカルなサブカル好きの意表を突くような作品ではない(本作の愚直なまでのストレートさが「かえって響く」ということはあるかもしれないが)。諧謔もペーソスも、メタもどんでん返しもどこにも見当たらない。

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気恥ずかしくなるくらい真っ直ぐで鈍くさい本作の印象は、やはりこの小さな村で「鈍くさい」と同世代の学友たちに揶揄される、いかにも匿名的な少女「すみれ」と彼女をチアー・アップする守護者「花くん」の性格、存在感に呼応している。

そして本作には、プレイヤーがいささか拍子抜けしてしまうような、太い「或るメッセージ」が通奏低音となって貫いている。
それはこちらに澄んだ、真っ直ぐな瞳で問いかけ、繰り返される日常の中ではまともに考えることを避けてしまっているような、あまりにも本質的なことを問うてくる。すなわち……

「お前は今日が最後の日でも後悔しないか?」

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自分は本作をプレイ中、人生の途中で断絶してしまった友人や、長いこと会っていない父親、あきらめてしまった夢、忘れてしまった恋愛について、思いをこらしていた。いつのまにか。

僕はかつて「すみれ」によく似た娘を知っていた。
彼女の心持ち、言動、行動がまるで手に取るように理解るような気がしたのだった。その無邪気さ。深い悲しみ。淡いあこがれ。

僕は「チエ」(すみれの元親友)によく似た少女を知っていた。
彼女の僕に対する(あるいは僕の彼女に対する)複雑な感情、そして僕の、彼女の苛立ちは、それまで友愛に包まれていたはずの僕らの関係をすっかり変えてしまった。

僕と家族との関係はすみれのそれに似ていた。
自分も敬愛していた祖母が他界するまで、ろくすっぽ自分の気持ちを伝えられなかった。離れた父とは今でも電話1本することができないときている。

本作をプレイする方の多くが、そんな風に、自分自身の「のっぴきならない」感情や、忘れたくても忘れらない記憶をまざまざと思い出すことになるかもしれない。
そうしてエンディング後、それら感情と記憶が「浄化」とまでは言わないまでも、別の角度から捉えることができるようになるかもしれない(自分はそうだった)。本作はそんなリハビリテーション・ツールのような効用が確かにある。

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『UNDERTALE』の憎きフラウィ君に外観や語り口こそ似ているが(意図的なものだろう)、その出自と性格はまるで似ていない優しくてチャーミングな水先案内人・花くん。
本作における緩いリハビリテーションとは、この花くんに依っている。この世に属していないけど、いや、いないからこそ、花くんには、きっと此の現世で起きることの一切合切が別の場所から見えているのだ。

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しかし花くんとコミュニケートしていたのは、すみれだけではなかった。若かりし頃の母の隣にも花くんはいた(よく見ると上の画像——母と父の思い出の海——にも花くんの姿がある)。
そして本作に登場するキャラクターにも、きっと1つ1つの花が——そしてあなたにも僕もいる(いた)はずだ。

すみれの過ごす「今日の日」は、すみれが死ぬまで2度とないであろう一期一会の「とびっきりの1日」だ。そんな日を、すみれの父と母が、そしてあなたの親や友人が、過ごした。あるいはこれから過ごすのかもしれない。そして僕の、あなたの、彼/彼女らの人生は続いてく。(ひょっとしたら死んでからも!)


そういうわけで、本作に少しでもご興味を持ってくださった方はしつこくプレイをおすすめしたい。自分だけの推しでは不十分なので、以下Steamサイトより海外メディアの賛辞を転記する(Metacriticなどでレビューを読むと、吾国よりも海外の方がずっと評価/売り上げが高いようだ)。

“『すみれの空』は日本のゲームや文化へのラブレターだ。最初から最後まで、純朴で暖かい物語が心を癒し、人生を前向きにしてくれる。”
8/10 – TheSixthAxis
“光と闇の間で感情を揺さぶる、他に類を見ない作品。『すみれの空』は全く新しい一日に踏み出す勇気を与えてくれる。”
9/10 – KeenGamer
“深く心を打たれた。ここまでゲームで泣いたのは何年ぶりだろうか。”
87% – Geeky Sweetie

 

●私的GOTY第1位『パラダイス・キラー』(Steam/Switch)

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幼少期——具体的には『ポートピア連続殺人事件』『オホーツクに消ゆ』といった、昭和の古典ADVを初めてプレイし、興奮冷めやらぬ時期だった——自分の内で、架空の、仮想の、理想的な推理ADVを頭の中で作り上げていたことがある。


その「理想的推理ADV」の際立った特徴は、

広大な世界があり(当時は「オープンワールド」という言葉/概念はなかった、もちろん)

この世ならざる世界で物語が展開し(和風サスペンスでも西欧ハードボイルド的世界でもない、SF的にぶっ飛んだ世界を夢想していた)

その世界を徒歩や車で移動でき(当時のコマンド型ADVにおいて、たとえば函館〜小樽を一瞬で移動することが不自然に感じられた。当時はSEGA『アウトラン』のようなドライブゲームに近い移動方法を想像していたように思う)

あらゆる情報が等価であり、事件の結末は自分の推理の正誤のみに依拠する(エラリイ・クイーン国名シリーズやディクスン・カーなどの本格推理小説のように)

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※余談だが、上記に列挙した特徴を鑑みると、奇ゲーのスティグマを捺されている『ミシシッピー殺人事件』(ジャレコ)は、自分にとって、ある種の理想的ADV(に近いゲーム)をいち早く体現していたのかもしれない。
狭い船上とは言え、自分を足を使って移動し、推理と証拠品の取捨択一によって犯人を指摘でき、その結果でエンディングが分岐するという点において。……これは再評価か?(笑)

それから20数年が経ち、30代半ばになった頃、或る映画を観て心から打ち震えた。敬愛する映画監督ポール・トーマス・アンダーソンの『インヒアレント・ヴァイス』(原作はトマス・ピンチョン『L.A.ヴァイス』)。

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当時の観賞した自分の感想メモから抜粋する。

『インヒアレント・ヴァイス』。
原作はドンガラみたいなものだな…と決めつけていたのだが、改めて書籍で要所を確認してみると、驚くほど原作に忠実な作品に仕上がっている。
のみならず、個人の記憶を越えて、歴史を睥睨しているような、PTAらしい深い哀しみと癒しが仄見える。
(中略)
また、ホアキン・フェニックス主演という時点で、この作品は傑作となることを義務づけられていたようにも思う。本作にはフィリップ・シーモア・ホフマンという偉大な俳優の死が通奏低音的に流れている。いや、彼の死をも呑み込むような巨大な包容力を宿していると言うべきか。穏やかに、悲しげに揺れ続ける広大な海のような作品と感じた。

本作をプレイしながら、まず強く連想されたのは、本作が強い影響を受けていると言われるグラスホッパーマニファクチュア『シルバー事件』『花と太陽と雨と』ではなくて(もちろん表面的な類似点はたくさんあるのだけど)、この荒唐無稽な傑作探偵映画『インヒアレント・ヴァイス』だった。

『インヒアレント・ヴァイス』の主人公探偵はマリファナ煙草を常備しており、たいてい吸引・摂取している。
仔細に物的証拠と手がかりを探し出し、理性を用いて全体像を推理しなければならない「探偵」であるはずの彼が、なぜ絶えずドラッグによる酩酊・トリップを必要とするのか——それは、彼の内面はもはや回復不可能なほどの失意に落ち込んでおり、自死しないために、絶えず現実から目を背ける——あるいは現実を異化し続ける必要があるからなのだった。

本作『パラダイスキラー』においても、舞台は実在の島・パラダイス島からインスピレーションを受けているものの、その存在感・空気は明らかに「異界」であろう。
舞台設定やストーリー、本作ならではのゲーム的特徴については、ここでくだくだ説明するよりも、信頼できるSteamレビュアー様方のレビューや、ゲームライターsurumeikaman氏の細やかなnoteを読んで頂く方がずっと話が早いだろう(クリア後の方でも、興味深い内容なのでぜひ)。

「ぶっ飛んでいるようで、案外話の筋はしっかりしている」本作ではあるが、このnoteではストーリーや事件の詳細・顛末については考察しない。
個人的に、縦軸/横軸から理性的に推理してカタルシスを得る類いの作品ではないと感じるからだ。
「アリバイ」「真相」「人間関係」「トリック」、そういった推理小説に必要不可欠なエレメンツといった観点から見れば、本作はまったき駄作だろう。フーダニットもなければウェルメイドでもない。「ネタ/雰囲気ゲー」と揶揄されても仕方ない趣きもある。

本作の奇想天外な事件の真相・結末というのは良い意味で「どうでもいい」。30時間以上かけて正しいエンディングに(おそらく)辿り着いたはずだが、それが真であろうと偽であろうとたいした問題ではないのだ(少なくとも筆者にとっては)。

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また、本作とサウンド・コンポーザーBarry ”Epoch”Toppingの製作したBGMは切っても切り離せない関係にある。
むろん、ほぼ全てのゲームにおいてそのBGMは構成要素などではなくて「ゲームそのもの」とみなしている自分だが、『パラダイスキラー』はBGMの存在感・役割があまりに大きいように感じた。もしこれが環境音のみだったら……と思うとぞっとしない。未プレイの方もぜひ聴いてみてほしい(「Vocal.ver」しかないのがいささか残念だが…自分は「Inst.ver」の方がずっと好みなので)。

竹内まりや『プラスティック・ラブ』を初めとする日本のシティ・ポップ名曲にインスパイアされたと言われる本作のBGMだが、個人的にはシティ・ポップやヴェイパー・ウェーブなどというお定まりの言葉では収まらないヴァリエーションと作家性に富んだ、素晴らしい出来の楽曲群と感じた。
(個人的なレビューにメディアの「お墨付き」を持ってくるのはあまり好まないが、IGN JAPANが本作に音楽賞を与えているのを見て、「わかってるなあ」と頷いたのも事実である。) 

 

「パラダイス」とは…

パラダイス島に降り立ち、本作のキラーチューン『Paradise(Stay Forever)』が鳴った瞬間、まだプレイを始めてまもない本作が自己内GOTY1位になることを確信していたような気がする。それは理屈や前評判ではなく、一目惚れの衝撃に近かった。
そして冒頭に記したような、遥か昔に夢想した理想的ADVの条件——

オープンワールド
キャラクターが魅力的
物語が現実世界の制約を受けていない
あらゆる情報が等価
BGMが超最高!!!

これらを全てを満たしているだけで、自分にとっては私的GOTY1位にせざるを得ない本作だが、最後に少し苦言を呈しておく。

本作、コンセプトとBGM以外には感心するところはあまりない。
操作性はイマイチ、3D世界なのにキャラクターはペラ。それがペーパーマリオのような芸術的/意識的なものではなく、「たんに3Dにする時間か技術が足りなかったのだろうな…」と思わせるような、開き直ったチープ感。テキストも読み辛いし、ローカライズも素晴らしいとは言い難い。
また、「Unreal Engine産」とはいえ、本作のグラフィックをコンシューマー機に準えて言うなら「PS2」レベルだろう。パラダイス島を彩る様々な意匠は、あまりにテイストがバラバラで、もはや「開き直っている」というような風情が漂う。

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それでも本作はゲームエンジンを用いて少人数でどうにか作り上げた、「理想郷」(パラダイス)がたしかに感じられる。
最高のBGMを流し、島中を歩き回り、奇想天外な登場人物たちの信頼できない語りを聞いているだけで、謎めいた至福に包まれる。ダークグレーの雲に覆われた英国からの太陽への烈しい憧憬とウイスキーへの愛をひしひし感じながら……。

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コロナ渦の閉塞感の中、パラダイス島を夜な夜な徘徊することは自分にとっては得難い時間だった。その徘徊/散策は、疲れきった心をかなり深い場所で癒してくれたように思う。何しろ、ここはキラーがいるとはいえ、この世界の何処にもない極楽の島(パラダイス・アイランド)なのだから。
本作『パラダイス・キラー』に心からの感謝と「2121年私的GOTY第1位」の照合(栄誉にはならないが…)をしっかと捧げたい。


●2021年私的GOTTSUMI(積み)

『ウムランギ・ジェネレーション』『LOOPHERO』『メトロイドドレッド』『バディミッション・ボンド』『おすそわけるメイドインワリオ』『Road96』『In Other waters』『ドラクエ123』(すぎやまこういち氏を偲んで)ほか。


●私的WGOTY(お察し)『ファミコン探偵倶楽部 消えた後継者』

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初代発売当時に震えさせられた者として、坂本賀勇ファンとして買わないわけにはいかなかった…が、うっすら予想していた通り、かなりがっかりさせられた作品。
任天堂が古き良きコマンドADVゲームを現代に鮮やかに蘇らせてくれるのでは……と期待していただけに、失望は大きかった。『新・鬼ケ島』と『中山美穂のトキメキハイスクール』は絶対リメイクせんといてくださいよ!

●特別賞

『マッド・ラット・デッド』(Switch/PS4)

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体験版をプレイし、直後に買ってしまった。買って良かった。相当落ち込んでる日にプレイして、その内容とBGMに元気付けてもらった記憶がまだ濃く残っている。
ただ1日で終わるボリュームで、フルプライスなのが…(なぜ日本一ソフトウェアの価格は常にフルプライスなのか?について、ご存知の方ぜひご教示ください)

 

あとがき

ここ『2021年私的GOTY5選』では、昨年プレイした、強く印象に残ったゲーム5本を仔細に振り返りながら記すことで、前述の「(自分内的)テーマ」に対するヒントのようなものを少しでも得られたら幸いと思って、ウーロンハイ片手に頑張ってしたためた次第である。こんなの全く時間の無駄かもしれないけど、飲みかけたハイボール、乗りかけた屋形船であった。

最後まで読んでくださって(読んだ方いるのか?)、本当にありがとうございました。まだまだ大変な現世界ですが、愉しいゲームとともに2022年をきっと良い年にしていきましょう!!! 2022.1.9 ラブムー