めくるめくメルク丸

ゲーム/哲学/人生

ムーンワールド再訪記(5)勇者と透明な少年の関係

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『moon』における2大重要アイテム「白羽の矢」と「石版」(ゲーム進行には関係ないが、moonの物語/世界観をプレイヤーが理解するための最重要アイテムであるはずだ)は、どちらも序盤で比較的容易く手に入る。

とくに「タオの石版」は(かつて1度クリアした者からすれば)ここまでさらっと手に入ることに、違和感を感じるほどだ。これほどの重要アイテムが、序盤に愛犬の掘った穴から出てくるところに凄みを感じる。

この石版を街に持ち帰り、博識の鳥・ヨシダに見せると、かつてヨシダの故郷でも似た石が見つかったこと、その石版に書かれている文字を翻訳するための翻訳機(ヘイガー博士製作)が何処かにあることが示される。そんなものあったっけ? とすると、ヘイガー博士(僕はこの人物があまり好きではない)はこのムーンワールド構造について完全に熟知していたのだったっけ。そういう細かな設定は経年によってすっかり忘却している。

「石版」に関しては色々思うところがあるのだが、もう少し進めてから。

今日はおばあちゃんの孫である「勇者」について記したい。

憎き大臣の陰謀により、タオの石版と同じ穴で見つかる「白羽の矢」(「タオが家で見つけた矢を、骨と間違えて穴に隠したのだろう」という、もっともらしい説を何かの記事で読んだ記憶がある)によって、おそらくは無垢で優しい少年だった祖母の孫は冷酷無慈悲な勇者へと変貌した。

いったい何故、大臣は罪のない少年に対してそんな残酷なことをしたのか? それは月が消えたことによってムーンワールド消滅の危機、もしそこまでは感じなかったとしても、とにかく国家存続の危機を感じたからであろう。たぶん。

さて、僕はこれまで、主人公である「透明な少年」は現実世界からムーンワールドに吸いこまれた僕(=プレイヤーキャラ)の分身のようなもの、と無意識に決めてプレイしていたように思う。

でも今回ムーンワールド再訪中、行く先々で遭遇する勇者の姿をじっくり見ていたら、透明な少年と勇者の存在に関して微妙に自己内定義が変わったのを強く感じる。

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主人公である透明な少年と勇者には同じ(読みの)名が与えられている。いや、「与えられている」というか、その名はプレイヤーである僕自身がゲーム冒頭で与えたのだった。とすれば「透明な主人公」とは、勇者のオルターエゴのような存在ではないか? そう思ったことはかつて何度かあった。しかし、その解釈はもうひとつ曖昧で煮え切らないものがあった。

これまで、僕は「白羽の矢の儀式」と城に伝わる呪いの鎧によって、勇者の心はすっかり死んでしまったものと思いこんでいたようだ。でもそうではなくて、この透明な主人公は、勇者の分離した心そのもの(イメージとしては幽体離脱に近い)だとしたら?

もちろん異論反論あるだろうが、今回はそんな素朴な解釈のもとにプレイを進めることにした。そう定義すると、改めて捉え直したい場面がいくつか出てくる。

 

たとえば、主人公と勇者が最初に城下町で接触した場面。この時、主人公は勇者の身体に派手に弾き飛ばされる。それはあたかも勇者が主人公を「邪魔だ、どけ」とばかりに突き飛ばしているようにも見える。が、そうではなくて、勇者の身体から抜け出た存在である主人公を、勇者の身体は(例えば呪い鎧の効用によって)受け付けないことを大袈裟に示唆しているのではなかろうか。

また、透明な少年が勇者の霊魂(のようなもの)であるからこそ、祖母とタオは「勇者の良心の化身」とも言うべき、主人公の存在にムーンワールド住民の中で唯一気づくことができたのではないだろうか。

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さらにゲーム中盤、おばあちゃんは「勇者が家にやってきてから調子が良くない」と、急に寝込み始める。それは主人公の来訪によって、孫が帰ってきたと思いこんでいたにもかかわらず、その後、孫の「実体」である勇者の姿を目にしたことによって、精神的混乱をきたしてしまった——と捉えることもできる(この時、祖母の家の前で「召喚獣ヘビー」の死体が現れている)。

また、もし主人公が勇者の霊魂(と言うべきか)とすると、主人公が月に行くために、モンスターたちの魂を救わなければならなかった理由も必然的に浮かび上がってくる。

僕の考えから言ってしまえば、それは自分の本体(と言うべきか)である勇者が、モンスターたちを殺戮したことに対する「償い」あるいは「カルマ解消」に近い行為ではないだろうか。「愛ある行為」というよりは義務、あるいは必然的行為というか。勇者の身体はモンスターをキルし、その後、勇者の魂(心、霊……もはや何でも良い)は同じモンスターを救っているのだとしたら、「キルすること」と「ソウルキャッチ」することは、本質的に同じ行為ではないか。

つまりは、殺戮によってレベルを上げ、月を目指す勇者と、救済によってレベルを上げ、やはり月へ向かわんとする透明な少年は「2人でひとつ」の存在である。

そして透明な主人公を操作するプレイヤー、すなわち「私」の存在がここに浮かび上がってくる。それについて、今は以下のように捉えておきたいと思う。

勇者/透明な少年/私は「三位一体の関係」である。

これでは何を言ったことにもなっていないかもしれないけど、今日はここまで。

なんとなく、この再訪記も佳境に入ってきたような気ぃする。おやすみなさい。