めくるめくメルク丸

ゲーム/哲学/人生

ありがとう、『moon』。

f:id:lovemoon:20180418160845j:plain

それは「RPGの死」とともにやって来た

「RPG」が、自分にとって「ロールプレイングゲーム」でなくなってから久しく経ったような気がする(のっけから、自分でも何を言っているのか釈然としないが)。

たとえば、「(或る)物語の主人公」としての自分を演じることの興奮と喜びを初めて僕に教えてくれたのは、古参ゲーマーらしく『ドラゴンクエスト』であった。

初代ドラクエが出た頃は、まだ未開のいちジャンルに過ぎなかった「RPG」なるジャンルは、『ドラゴンクエストⅡ〜悪霊の神々〜』が大ヒットした頃からだろうか、一挙にメインストリームとなり、ドラクエやファイナルファンタジー(スクウェア)と同じようなシステムの、似たようなグラフィック、既視感あるシナリオを携えたRPG(その中には「もどき」も多量に含まれていた)が続々と生まれ、氾濫し、どしどし忘却されていった。そんな中、僕の「RPG」に対する情熱も、加齢や状況ともに徐々に、そして確実に薄れていったように思う。

具体的に言うなら、齢二十歳を回った頃、「物語の主人公と同化できるような」媒介としてのRPGはほとんど見出せなくなっていた。

自分の場合は『ドラクエⅥ』あたりを境に、所謂RPGに——いや、 RPGを素直に楽しむことの出来る自分自身にと言うべきか——ピリオドを打った。打ったつもりだった。1997年、気鋭のゲーム制作会社「ラブデリック」が『moon』なる奇態なメタRPGを世に送り出すまでは(販売元はアスキー)。

東京都・武蔵溝の口という街の(今は無き)小さなゲームショップで、その綺麗な色みのパッケージを手に取った日のことを思い出す。黒い帯には、

「みあげてごらん。夜の、月を。」

裏面には——勇者に倒されたモンスターを救え!キーワードは「ラブ」——とあった。改めて確認していないけど、たぶん。

当時まだ大学生だった僕は、新作ゲーム1本買うことにも相当慎重だったはずだ。しかし、そのジャケットとフレーズに「もっていかれた」のだろう。ショップを出た僕の手には、ろくすっぽ前情報も知らなかった得体の知れないゲーム『moon』の入った袋がしっかと握られていた。いつにないドキ・ワク感を覚えながら家路を急いだ足取りを、20年経った今でもやけにくっきり憶えている。

プレイ開始時、のっけから驚かされたのが「FAKE MOON」であった。

たった5分程度のこのミニRPG風オープニングには、かつての僕が夢中でプレイしてきた名作RPGの残骸が絶妙に、巧妙にサンプリングされていた。そこには製作者の「もはやRPGを直截に楽しむことができなくなってしまった不感症ゲームユーザー」に対する問いかけが、じつに挑戦的に、シニカルに、そしてなによりもユーモアたっぷりに描かれていた。「RPGの死に体」を先ずしっかりと自覚し、客体化すること。そんな『moon』最初の意図は、あまりに強いインパクト(と苦笑)とともにばっちり成し遂げられていたように思う。

「この少年は……俺だ!?」

「FAKE MOON」が少年の母親の怒鳴り声で終わり、かの郷愁をそそされる名台詞「ゲームなんかやめて、はやく寝なさい」によって現実への帰還を促され、しかし、1度は寝床に向かおうとした主人公はテレビの中へと吸いこまれていく。透明な少年が、吹きすさぶ風の中をゆっくり落下していくのを眺めながら、僕は、本当に久方ぶりに、少年が自分と同化していくのを確かに感じていたのだった。

そして少年が辿り着いたのは、はたして広大なのか?窮屈なのか?リアルなのか?フェイクなのか? 判じ難い、しかし、とにかく牧歌的かつ魅力的かつ求心的なタッチで描かれた世界「ムーンワールド」であった。ここはキュートで美しいだけでなく、ある種のノスタルジアとアイロニカルな毒々しさに満ちみちていた。

だが、僕は序盤を夢中でプレイしながらも強い不安を感じていた。なにしろ、冒頭から「RPGの死」を声高に宣言してしまっているゲームだ。この作品が「RPGの死」に対して自覚的な、あるいはRPGにすっかり「スレて」しまったプレイヤーを引き込ませるような生成的な物語を紡ぎ出すことができるのだろうか? もしそんな所業が成されたらほとんど奇跡ではないか? このゲームが成れるのは、せいぜい「終始シニカルな笑みを浮かべたメタRPG」が精一杯ではないか?

そのような不安は杞憂であった。各々の価値観をもって時間軸に沿って生活する魅力的な住人達、美しくも幽玄な世界、当時のクラブカルチャーと絶妙にリンクするコンテンポラリーで素敵なBGM——気に入った音楽を自分で選び、好きな時に再生することのできる「MDシステム」の秀逸さ!——それら全ての要素が相まって、「ムーンワールド」と呼ぶしかない、完全にオリジナル、かつ融通無碍な世界がそこに確かに存在していたのだった。

僕(あなた)は『moon』の世界にすっかり身を委ね、モンスターたちの魂(ソウル)をキャッチしながら、この世界の住人たちに自分から働きかけて愛(ラブ)を集め、この愛おしい世界への認識を自らの手で造り上げていく。それだけで良い。

そこには有名大作RPGのように壮大な物語も判りやすい勧善懲悪的物語もご都合主義的物語も存在しない。ここ—ムーンワールドは——は心の灯火に、ゆっくり、本当にゆっくりと——あたかもマッチで1本1本火を点けていくような、熱く、優しく、甘く、ときに苦く痛く、癒され、鼓舞され、夢見るような世界だ。

『moon』にすっかり入りこんでいる僕の中には、「RPGに対する冷めきった自分」はもはや何処にも存在していなかった。僕はこの世界に放りこまれた少年と自然に完全に同化し、その中にいる自分と広がる世界を素直に楽しみ、愛おしく感じている自分を強く、深く感じていた。かつて、愛したRPGの中でそうしていたように。いや、きっとそれ以上に。

ところが。

全てのラブを集め(それは予想していたよりも遥かに長い道のりだった)、ついに月に降り立った少年(僕)は、あまりに意外な事態と結末に直面することになる。これまで出会った全てのキャラクターは誰かによってプログラムされた「データベース」に過ぎなかったことが判明するのだ。いや、それはもちろんそうだが……でも……。しかし……。この文脈でそれはないだろう。困惑し、ひどくうろたえた。

少年によって開かれるはずだった「光の扉」はどうやっても開かない。ムーンワールドにおいて、少年を最後まで導いてくれていた「月の女王」も憎き勇者によって、あっさりと倒されてしまう。まるで悪夢の中の悪夢のような結末である。そして画面は暗くなっていく。これで終わりなのか……なんてこった、信じられない。こればかりは許されない。

………………………。

それは、あたかも「君は、もうRPG、いや、ゲームという扉を開くことはできないんだよ」と通告されたような気分だった。 冷めた心に温かく寄り添ってくれた『moon』に最後の最後で裏切られ、打ちのめされた思いだった。結局のところ、この世界も「FAKE  MOON」だったのか? このゲームも所詮はよく出来た「メタRPG」に過ぎなかったのか? 悔しさのあまり、ほとんど泣きかけていたように記憶している。

その時、画面にある問いかけと選択肢(YES/NO)が出現していた。

「Continue?」

ずいぶんと迷った末、僕がどちらを選び、その結果、「この世界」に何が起こったかはここには書かずにおこうと思う。

自分の手で「その扉」を開けること——それが「moon」というゲームから僕が受け取った唯一無二であり、おそらくは最後のメッセージだった。しかし、それは開始直後に少年の放った台詞「ゲームなんかやめて早く寝なさい」を受け入れることと同義では決してない。決して。

僕はこの世界において、これからもゲームをやり続けるだろう。自分を夢中にさせてくれる、新しい世界をいつだって新しい扉にすることを止めないだろう。

ありがとう、『moon』。  そしてさようなら、『moon』。このゲームに続編は要らない。「続き」を僕は今、まさに生きようとしているのだから。あるいはもう生きているのだから。だから、きっとまた会える。