めくるめくメルク丸

ゲーム/哲学/人生

「#私を構成した9本」

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というハッシュタグで上記画像をツイートしたのは、2016年の2月だった(もうずいぶん経ったような気がするけど、まだ2年か……)。

その前年(2015年)、音楽ファンたちが「私を構成した9枚」というハッシュタグで、アルバムジャケットを上記のようなレイアウトで9枚挙げるのが流行っていたのです。で、それに便乗してこのハッシュタグ「#私を構成した(ゲーム)9本」を思いついたように記憶しています。

「オールタイム・ベスト」でも「生涯の1本」でもなく、「私を構成した」というネーミングは、なかなか興味深い切り口と思います。「私を構成した」作品たちは、すでに私たちの血肉になっていて、不可逆的というか、あまりに自分の深い場所に染み込んでしまっていて、切り離したり、取り換えたりすることは決してできない9本。(個人的には、できれば20本くらいは入れたいところだけど……)。

 

2ヶ月ばかり前、思うところあって、自分が挙げた「9本」を改めて見直し、「ああ、やっぱり……」という所感を得ました。さらにTwitter検索で、多くの方々が同ハッシュタグで挙げている9本を時間をかけて確認していったのです(その行為が、或るゲームファンの方とのありがたい出会いに発展したことは望外の喜びでした)。

数多のゲームファンたちが絞りに絞って挙げる作品たちを目にすることは、いつでも新鮮な驚きと発見をもたらしてくれます。誰かを構成した作品は、誰かにとっても忘難い作品だったりするし、他の誰かにとってはプレイしたことさえも憶えていないような、凡作であったりする。無論、それはゲームに限らず、どんなジャンルにでも起こり得ることだけど、そんな事実に改めて驚いてしまうのです。

個人的にはずいぶん長いこと心の隅に引っかかっていたけど、「あ、あれやっぱりやってみようかな」。そんな気持ちになれたことがむやみに嬉しかった。

 

「私を構成した9本」の1本1本が自分にもたらした影響の大きさについて、いずれ改めて諸作をプレイし、考察してみたいと思います。もちろん簡単なことではないけれど、それは自分にとってかなり大きな意味のある行為になるはず。たぶん、きっと、絶対。