めくるめくメルク丸

ゲーム/哲学/人生

『Card Shark』イカサマという名のQTEか?あるいはミニゲームか?

"イカサマ"をどう捉える?

『Card Shark』(Switch,Steam)。一見するとトランプカードを扱ったゲームのようだが、中身は一筋縄にはいかない本作。表面的な紹介は手短に済ませよう。

物語は18世紀フランス、或る場末の酒場で働いていた身よりのない聾唖の青年が、名うてのギャンブラーであるサンジェルマン伯爵に見初められ、その後の長旅に同行することになるというもの。
と旅しながら、フランス各地や隣国の名士や貴族たちを相手に"賭けトランプ"を行うこと、その中で「イカサマ」を成功させることが本作におけるメインである。

ただ、そのイカサマのゲーム性について解説・批評するのは案外難しい。

本作はプレイヤー自身がカードゲームをプレイするのではなく、あくまでサンジェルマン伯爵を"イカサマ"でサポートするという立場に留まっている。いや、実際には「サポート」というより、毎回伯爵に要求されるタスクを無事にクリアできるか……そんな「使役に従事」と言った趣が近い。

毎回そのルールががらりと変わる「イカサマ」は、ワインを注ぎながら対戦相手のカードをこっそり盗み見て、相手の枚数やマークを伯爵に秘密裏に伝えたり、裏手に回ってデッキの中に強スートを仕込んだり、カードの裏側に目印をつけたり……と多岐に渡る。
サマが失敗して、下部に表示されている対戦相手の堪忍袋ゲージ(と言うべきか)がMAXに達すると、問答無用に「負け」となる。サマには失敗したが、サンジェルマン伯爵は勝利しました……といった局面は訪れない。繰り返すが、本作はトランプの勝敗を競うゲームではなく、プレイヤーの操作の正誤のみが判断されるからだ。

『Card Shark』はゲーム側に提示されたコマンドを記憶し、正確に入力することが求められる、ある種の脳トレゲームのようにも見える。「ミニゲーム集」と感じるプレイヤーもいるだろうし、「QTEの連続体」と見る者もいるかもしれない。このような本作のゲームメカニクスをどう捉えるか?によって、本作に対する評価も変わるだろう。

個人的には、制作者が本作を通じて為したかったことは、退廃的かつ蠱惑的な魅力的をたたえていた18世紀フランスの空気をユーモラスに伝える「劇」。そしてその幕間で、サマ師が"現場"で感じているであろう緊張感を体験させる「サマ師の内面シミュレーション」を描きたかったのだったのではないかと感じた。

自分はそれほどフランス史に詳しいわけでもないので、ストーリーの吸引力はそれほど高くなかったが、ゲーム中盤からwikiや専門書で18世紀フランスの簡単な時代背景、サンジェルマン伯爵の人となりなどについて調べながらプレイしていくと、"史実をユーモラスに改変描写した作品”としても良くできていることがわかる。この退廃と享楽と諦念が入り混じった時代は、カード勝負に命を賭けることも実際、ざらにあったようだ。
ペーソスとユーモアの効いた軽やかな描写と脚本だが、時代考証はしっかり為されているように思う。そして中盤まで緩やかに描かれていた物語はクライマックスに向かって後半ぐんぐん加速していく。その絶妙な物語の運びは上等な「動く絵本」を読んでいるかのようである。

劇判もドビュッシー風だったり、バロック室内楽、教会ミサ曲など、古き良きクラシック音楽をアレンジしたものが効果的に用いられており、UIもアートワークのレベルも総じて高い。また本作パブリッシャーである『架け橋ゲームズ』で数多くの翻訳(『Hollow Knight』『Haven』『Salt And Sacrifice』など)を手がけてきた伊東龍氏によるローカライズも抜群だ。質の高い一大絵巻を味わうためのお膳立てはすっかり整っている。

"QTE"と"ミニゲーム"のあわい

本作は上質の「18世紀フランス風刺劇」としては成功しているのだが、幕間に描かれる"イカサマ"の「ゲームとしての面白さ」のみに着目すると、いささか厳しい評価になってしまう。QTE/ミニゲームをゲームの主軸に据えるという独自性。センスの良いアートスタイル。完璧なローカライズ。これだけ美点だらけでも、肝心のゲーム行為——次々と登場するイカサマをマスターすること——がどうにも面倒に感じてしまう感は否めないのは何故だろう?

まず、サンジェルマン伯爵による教示と反復学習によってイカサマを身につけても、それは次ステージをクリアする「手段」に留まっており、サマ師としての「成長の実感」がない——これが物足りなさを感じる一因として挙げられるだろう。
もし本作が所謂"脳トレ"を謳ったものなら、単純な反復が主軸となっても、所謂「脳内(ワーキング)メモリ」強化の手応えや「記憶力促進の可能性」などでモチベーションが高まったかもしれない。しかし、本作では苦労して身に着けたイカサマが主人公キャラクターにとっても、プレイヤーにとっても、経験値として垂直に積み上がっていかない。それはどこまでいっても水平的な「羅列」に留まってしまっていると感じる。

『Card Shark』は「反復学習とゲーム行為とご褒美」が剝き出しのままに表象されている、構造的にはかなりレトロなゲームと言えるだろう。ところで自分は本作をプレイ中、「QTE」と「ミニゲーム」を分かつ定義について改めて考えないわけにはいかなかった。はたして本作はミニゲーム集なのか、それともQTEの連続体なのか?

ひとまず、QTEミニゲームについて以下のように定義してみたい。

QTEはそのゲームのコンテクストを保ったままプレイヤーに求められる、(正誤のある)コマンド入力操作である。ミニゲームは「同ゲーム内」を前提条件とすれば、どのようなフォームとルールでも成立する、内部で個々に独立したゲームである。

『There Is No Game Wrong Dimension』(2021)

たとえば『メイドインワリオ』『There is no game』といったゲームは「ミニゲームのクリア」がゲームを進める為の手段であり、独立しつつも連続した要素/目的である。QTEは『シェンムー』『Heavy Rain』のような、保持されたコンテクスト内での入力操作が求められるイメージだ(厳密な定義ではなく、あくまで筆者の所感であるが)。
『Card Shark』をミニゲーム集として捉えると、正直、面白いミニゲーム集とは言い難い。だがQTEの連続が本作の抜本的なゲーム性を担っているとするとしても、あまりにストレートかつ単一的であるように感じてしまう。(ただ、本作が表現しようとしている主題のひとつが「サマ師が感じているプレッシャーとストレス」である以上、そうした作りも意識的なものなのかもしれない。現実のイカサマがストレスと緊張に溢れる行為であることは想像に難くない)

ちなみに筆者に関して言えば、本作における”イカサマ"は、QTEミニゲームのほぼ中間あたりに留まっていると感じていた。そのような「あわい」で求められるコマンド操作は——全てとは言わないまでも——大部分がプレイヤーにとってある種の煮え切らなさとなってしまうのではないか。

カタルシスは何処にあるのか?

本作のカタルシスは、"イカサマ"をクリアすることで上質の物語(劇)を鑑賞できること。「この難所をどうにか乗り切った…」といった解放感に担保されているように思う。CPU側から命令されたことを記憶し、反復することは「ゲーム」の原初的な在り方ではあるが、工夫や装飾のない骨組みだけを提示されても、それは退屈で非創造的な「苦役」と化してしまう(ちなみに本作で終始感じるストレスは、終盤ストーリーも相まって浄化される印象だが、そこまでの道のりはかなり長い)。

そう、本作はプレイすればするほど面白さが跳ね上がっていく類のゲームではない。では、どうすれば本作は指数関数的に面白いゲームと成り得ただろう?  

本作のQTEミニゲームのあわいにあるようなゲーム性にもう少し「アナログ的な振り幅」「広がり」があれば、と感じてしまったことは確かだ。

メイドインワリオ』シリーズや『There Is No Game』がその面白さを最後まで持続させることができたのは、統合している世界観の完成度の高さはもちろん、ひとつひとつのミニゲームそのものがオリジナリティに溢れ、「操作」としてしっかり面白かったから、というのが大きい。
対して『Card Shark』は「トランプ」という誰もが親しめる媒介を使っているのにもかかわらず、カードゲームのルールは一切関わってこないところがウィークポイントになっているように感じる。実際のトランプゲームとQTE操作を有機的に結合させることができれば、本作はさらなる深みと持続性を獲得できたのではないか。

オールドファッションな魅力

『Card Shark』について、いささか問題点ばかりを書き連ねてしまったかもしれない。

しかし僕はこのゲームが好きだ。本作はQTEミニゲームの中間的なゲームを主軸に据えるという、いささか時代錯誤的なゲーム性を最後まで貫くことで、ある種のオールドファッションな魅力を獲得している。そしてその在り様は「18世紀フランス」という舞台にもよく馴染んでいる。個人的に、その素朴で丁寧なゲーム性に引っぱられながら、彼の道中と運命を最後まで楽しむことができた。

キモである”イカサマ”のみに着目するのではなく、本作の見事な絵(グラフィックというよりも、絵と呼びたくなる出来だ)や少しずつ盛り上がっていく物語、みやびなBGMも含めたトータルの空気感に魅力を感じられる人は、触れてみる価値のある作品であることは間違いない(幸い、序盤1時間程度遊べる体験版も用意されている)。
賢い貴族に使われる「職業的サマ師」の艱難辛苦と、「切った貼った」に立ち向かう彼の心持ち・ひりひり感はまさに今の我々が必要としているものかもしれない。

『春ゆきてレトロチカ』レビュー(コーヒー×ミルク対話編)

第1章 "レトロチカ借りに来た妹"

午前9時22分、都内アパートの一室。筆者(ラブムー)がモニタの前でコントローラーを握ったままテーブルにつっぷしている。私の周囲には空き缶と書籍とゲームが散乱している。いつものように。そこにやってきたのは……

ドンドン!(ドアが叩かれる音)

ラブムー「誰だよ、土曜の朝っぱらから......あ、もしかして一昨日注文したビール1ダースかな?」

ダンダンダン!!(さらに強いノック)

ラブムー「はいはい、今出ますよっと......」(瞼をこすりながら)

カチャカチャ......ガチャッ

ふみえ(ラブムーの実妹。ゲーオタOL)「兄ちゃん、おっはよー!」

ラブムー「なんだ、ヤマトさんじゃなくてお前か......」

ふみえ「なんだじゃないわよ、いつにも増して目の下クマだらけだし、40も過ぎて、まーたゲームでオールしてたんか」

ラブムー「お前と違って遊び半分・お仕事半分なんでな。それにお前だってもう立派なアラフォーゲーマーじゃねえか」

ふみえ「あたしはいいんだよ、ちゃーんと毎朝起きて会社行ってるし、週末はせっせとジム通ってるし、ピラティスだってやってるし、兄ちゃんと同じでゲームは子供の頃から大好きだけど、徹夜でやったりしないから肌もツルツルしてるやろ」

ラブムー「はいはい、待ってろ、今目覚めのブラックコーヒー淹れっから」

ふみえ「あたしはミルクたっぷりカフェ・オ・レにしてもらえる? 今日はさ、ゲーム借りに来たの。もうクリアしてるよね? レトロ・チ・カ」

ラブムー「タイミング良いな、ちょうど今朝終わったとこだ」

ふみえ「なんだあ、発売日に買ったって言ってたからとっくにクリアしたと思ってたわ。遅くね?」

ラブムー「そのつもりだったんだが、思ったよりボリュームあってな。てか、
お前、そんな楽しみにしてたんならゲームの1本くらい自腹で買えや」

ふみえ「だって、レトロチカってクリアしたら周回プレイしなさそうじゃん。エンディングはひとつだけってTwitterに書いてた人いたよ」 

ラブムーTwitterを鵜呑みにするな」 

ふみえ「マルチエンディングなの?」

ラブムー「や、たぶん違う」

ふみえ「じゃあ正しいじゃん、Twitter笑」

ラブムー「マルチエンディングじゃないからって、周回プレイしたくならないとは限らんだろうが」(コーヒーとカフェオレの入ったカップをテーブルの上に置く) 

ふみえ「あ、お砂糖もちょうだい」

ラブムー「はいはい」

ふみえ「(カフェオレをすすりながら)それで......どうだったの?」 

ラブムー「何が?」

ふみえ「だから、春ゆきて」 

ラブムー「レトロチカ......ああ、良かったよ」

ふみえ「あっれ、昔っから推理ものADVに厳しめな兄ちゃんにしては意外な。面白かったんだ?」

ラブムー「面白かったとは言ってない、良かったとは言ったが」

ふみえ「どう違うわけ?」

ラブムー「面白かったとかつまらなかったっていうのは、あくまで主観的な感想だろ。俺が良かったと言うのは、このゲームを現代においてリリースした意義はばっちりあったってこと」

ふみえ「はあ......(めんどくさ)。じゃあ、面白くはなかったわけ?」

ラブムー「だから、面白かったとかつまらなかったとかそう簡単には言えないんだって。俺はこれでも『批評』をモットーにしたゲームライターなんだから」

ふみえ「ゲームライターなら、どこが面白くて、どこに引っかかったのか、かいつまんで聞かせなよ。ネタバレのたぐいはなしで。あと、ミステリオタクっぽい小難しい話もなしね」

ラブムー「まあ、今日はひと眠りしたら某Webメディアに送るレビュー原稿書くつもりだったからな......ここはひとつ頭を整理するために、お前がそのカフェオレ飲み終わるまでの間に、本作についてざっと整理してみるか」

ふみえ「しつこいけど、ネタバレ絶対なしでよろしく」

第2章 "仮説のバカ"

ふみえ「なんかさ、紹介動画で見たんだけど、レトロチカって物語パートと推理パートが完全に分かれてるじゃない? あれってどうなの?」

ラブムー「どうって?」

ふみえ「物語パートは、テレビドラマ観てるみたいにプレイヤーは画面をじっと見てるだけな感じ?」

ラブムー「や、物語パートでも途中で主人公の行動とか台詞を選ぶ選択肢がちょくちょく入ってくる」

ふみえ「そこはノベルゲームの分岐みたいな感じになるわけか」

ラブムー「うーん、正直、ちょっとどうかな、と思ったね。せっかくノンストップで再生されてるフルムービーを止めてまで出すような選択肢なのかなって。っていうのも、その選択で先の物語が大きく変化するわけじゃないからさ」

ふみえ「じゃあ、選択肢は何のためにあるの?」

ラブムー「おおむね、プレイヤーに物語の筋や主人公の思考をしっかり把握させるためなんだろう。たださ、その選択肢があんま迷える感じじゃないんだよね。こっち選んだらヤバいかも......みたいな緊張感が希薄。そのへんは同じく実写ドラマを軸にした『デスカムトゥルー』とかnetflix『ブラックミラー・バンダースナッチの方が遥かに選択肢の必然性があった。あとは洋ゲーだけど『LATE SHIFT』とかも」

『デスカムトゥルー』(2020)

ふみえ「さっすがオタ兄。まあ、あたしも全部プレイ済みだけど。じゃあ、推理パートはどうだった? かなり独特なUIじゃない?」

ラブムー「推理パートのUIや操作性が判りづらくてダメって言ってるプレイヤーもいるけど、俺はそれは思わなかったな。Steam版ならマウスで直感的な操作ができるだろうし、コントローラーでの操作も30分もすれば慣れると思うぞ」

ふみえ「あたしが動画で見た感じだと、ドラマも時系列で確認できるし、手がかりとか言動の断片がずらっと並んでて、それをマインドマップみたいなところにカチカチ嵌め込んでいくじゃない? こういう推理ゲームってこれまで見たことないし、単純に面白そう!って」

ラブムー「うん、ただ、推理パートは10年前に出た本格推理ゲームTRICK ×LOGIC』をモロ彷彿とさせるよね」

ふみえ「トリロジ! 懐かし。PSP時代に兄ちゃんに借りたわ。面白かったけ ど、めっちゃ難しかった記憶ある」

TRICK×LOGIC(2010)

ラブムー「あれはやりごたえあったよな。『TRICK×LOGIC』と『春ゆきてレトロチカ』は同じディレクター(伊東幸一郎氏)だし、優れたシステムだから流用すること自体は全然良いんだけど、問題はこのシステムが今作でも効果的に、十全に働いているか?ってことだな」

ふみえ「トリロジって全編推理小説みたいなテキストベースだったよね?」

ラブムー「そう、対してレトロチカはFMV(実写動画)ベース。あと、トリロジは推理ゲームとか推理小説に慣れてるプレイヤーでもかなり難しかったからね。今回、多くの人に推理ゲームを楽しんでもらうためにあのシステムを使いつつ、推理ゲームとしての敷居は下げようっていうコンセプトなんだと思うけど」

ふみえ「つまり『春ゆきてレトロチカ』は、全編実写動画ベースのミステリと『TRICK×LOGIC』のシステムを混ぜ合わせて万人向けにした推理ゲームってことか。ちょうどこのカフェ・オ・レみたいに、濃いコーヒーとあったかいミルクを混ぜ合わせて飲みやすくした、みたいな」

ラブムー「まあ、その喩えはそこそこ合ってるかもな(次に書く記事で使わせてもらうとするか…)。ただ、推理パート部分はいささかカタルシスに欠けると思った。手がかりとか言動は『TRICK×LOGIC』と違って、あらかじめ抜き出されてて、プレイヤーがそれをかちかち嵌め込んでいくことで仮説がぽんぽん生まれるんだけど......」

ふみえ「仮説って?」

ラブムー「つまりさ、フーダニット(誰がやった)、ホワイダニット(なぜやった)、ハウダニット(いかにしてやった)の有り得る可能性が仮説としてどしどし提示されるわけ。それは良いんだけど、気になったのは、深く考えずに手がかりを適当に嵌め込んでいくだけで仮設が出来てしまうってとこ」

ふみえ「古き良きアドベンチャーゲームのコマンド総当たりみたいな?」

ラブムー「まあ、そんな感じか。プレイヤーが事件を推理するまでもなく、適当に手がかりのピースを嵌め込んでいっても、ほとんどの仮説は出揃ってしまう」 

ふみえ「ふむふむ......じゃあ、推理する手応えみたいのは全然ないの?」

ラブムー「全然ないとは言わない。が、今作の推理パートは『TRICK×LOGIC』と表面上は似てても、遥かに受動的な感じがしたな。正しい推理の道筋は真っ直ぐに用意されてて、プレイヤーはそれを後からなぞるだけっていうような局面が多かった。それに......」

ふみえ「まだ文句あんのか」

ラブムー「浮かび上がってくる仮説のほとんど、とは言わないまでも、半分くらいがあまりにもお粗末なシロモノなんだよね」

ふみえ「たとえば?」

ラブムー「被害者が後頭部の打撲で死んでるとするじゃん。その仮説として、「被害者は、バナナの皮で滑って転んで亡くなったのかもしれない」とか「凶暴な動物に襲われたのだろう」みたいのがばんばん出てくる。これ、実例まんまじゃないよ。ネタバレしたくないから。そのくらい突飛だったり馬鹿らしいってこと」

ふみえ「ふあー」

ラブムー「もちろん、ちょっとくらいはそういうのあっても全然ご愛嬌だし、スパイスにも成り得る。ただ、今作はそういう馬鹿馬鹿しい、笑えない仮説があまりに多い。これ、隙間を埋めるために無理矢理作ったのでは? みたいな」

ふみえ「なるほどね。おいしいカフェ・オ・レにシナモン振りかけすぎちゃった? みたいな。で、その仮説の中で正しいのを結びつけて、解決篇に行くわけか」

ラブムー「全6章、基本的には問題篇、推理篇、解決篇って順繰りにプレイしていく。あ、ただ、解決篇の直前に考察のまとめみたいなことを行うんだけどさ」

ふみえ「ああ、トリロジにもあったよね。これこれこういう根拠で、犯人はこの人にちがいない!みたいな」

ラブムー「そう、仮説の断片を集めて、もっともらしい推理を作るわけ。そこで推理の道筋がだいたい出来上がったら、ようやっと解決篇に至る」

第3章 "既視感の無さ"

ふみえ「で、解決篇はまた実写ドラマパートに戻るんでしょ?「....あなただったんですね?」みたいに目の前の容疑者に直接突きつけるお約束のやつ。めっちゃ期待してるんだけど。スリルありそう」

ラブムー「たしかに解決篇は途中、いくつかの重要な問いに対して毎回正解を選ばないといけない。ただ、間違えても推理パートに戻されるだけで、緊張感はそこまでない。その点、『逆転裁判』とか『TRICK×LOGIC』はやっぱ上手かったよね。 鬼気迫る緊張感と意外性があった」

ふみえ「レトロチカの解決篇は、間違えてもペナルティみたいのはないの?」

ラブムー「ミスった回数も記録されてて、シナリオクリア後にランクが出るから、一応ペナルティはある。ただ、それだけじゃ絶対間違いたくないっていう気持ちにはならないんだよな」

ふみえ「じゃあ、途中でプレイヤーが思考を整理したり推理するパートはあるものの、基本は1本道のノベルゲームみたいな感じなのかしら」

ラブムー「かしらって笑。や、1本道のノベルゲーとも違うね。で、それは本作の美点というか、評価すべきポイントと思う。連続テレビドラマっぽくもあり、 実写ノベルゲーのようでもあり、『TRICK×LOGIC』っぽさもあるんだけど、結果どれとも違った、既視感の無いゲーム体験になってる」

ふみえ「オリジナリティがあるってこと?」

ラブムー「そう。素材は実写ドラマ、ノベルゲーム、キーワード嵌め込み型の推理ゲームと、エポックメイキングな新機軸はない。にもかかわらずその3つが合体することで、新鮮味のある新しいADVになってる。ただ......」

ふみえ「ただ?」

ラブムー「残念なのは、1本のミステリドラマとしても、推理ADVとしても”新本格”を銘打ってるわりには中途半端な仕上がりに感じてしまうこと」

ふみえ「でもさ、それはお兄ちゃんの主観でしょ。あたしはレトロチカのストーリーも推理パートもめっちゃ楽しみにしてるわよ」

ラブムー「たしかにストーリーへの評価は人それぞれだろうな。ただ本作において、推理ゲームの側面がいささか弱いのは仕方ないのかもしれないとも思った」

ふみえ「なんで?」

ラブムー「つまりさ、長尺の実写ドラマとテキスト・キーワードベースの推理ゲームっていうのはあまり相性が良くないんじゃないかと」

ふみえ「ちょっとわかんない。具体的に言って」

ラブムー「たとえば過去のある言動を振り返る時、小説やノベルゲームでページをめくって戻るのと、実写動画を巻き戻して確認するのとでは体験として違うじゃん。レトロチカは、物語パートは実写動画で、推理パートはテキスト主体だからそこにちぐはぐ感、もっと言えば乖離があると思う」

ふみえ「うーん。たしかに小説で得られる面白さと実写映画の面白さって、根本的に違うよね。好きな推理小説が映画化された時、よく思ったな。『イニシエーション・ラブ』にしても『ソロモンの偽証』にしても、映画になるとこうも変わっちゃうのか!って」

ラブムー「そう。実写ドラマが立ち上げる世界と小説が表現できる世界。どちらが『本格推理ゲーム』との相性が良いかっていうと、乱暴に決めつけてしまうと、やっぱ小説だと思うんだよね」

ふみえ「でも兄ちゃんさ、実写動画にしかない良さっていうのもあるじゃん?」

ラブムー「そりゃあるよ、もちろん。それは最後に述べるとして、今いっこ思ったのは、本作みたいな実写動画ベースだと地の文がなくても成り立つよね」

ふみえ「地の文?」

428〜封鎖された渋谷で〜(2008)

ラブムー「『と、◦◦は言った』、とか『早朝の山並みは清々しく煌めいていた』 とかそういうの。そういう説明や描写に頼らない実写ドラマは、推理小説とは違った魅力があるって改めて感じた。何しろ、画面に映っている人・もの・環境が全てなわけだから。 もし本作が『428』みたいな一枚絵とテキスト中心の実写ノベルゲームだったら、本作特有のダイレクトな没入感は生まれなかったはず」

ふみえ「なるほどね」

ラブムー「たださ」

ふみえ「でたでた、オタ兄の付け足しエクスキューズ…!」

ラブムー「それでもなおかつ、本作で俺が思ったのは、やっぱり推理ゲームはどうしたって『テキスト』から逃げられないってことなんだよな。もしいつの日か、完全にテキストレスの本格推理ゲームの傑作が出てくることがあるとしたら、本作はそこに至るための過渡期的であり、記念碑的な作品ってことになるんじゃないかな」

ふみえ「そういう意味で、最初に『春ゆきてレトロチカ』は良いゲーム――リリースする意義があるゲームって言ってたわけか、オタ兄は」

ラブムー「そうそう。こんなに手間も製作費もかかる作品を良く作ってくれたなあって。スクエニみたいな資本の大きな会社じゃないと、ここまで大掛かりな野心作ってまず作れないじゃん。これを企画して、実際に作ったことが凄い」

第4章 "それは記念碑的な......"

ラブムー「あとさ、ただでさえインタラクティブ性のあるゲームの中で生身の俳優さんが演技するっていうのは、やっぱめちゃくちゃ大きいよね。物語が進めば進むほど、キャラクターに対する感情移入度が右肩上がりに高まっていく」

ふみえ「あ、桜庭ななみさんのファンになっちゃった?」

ラブムー「(無視して)序盤は物語全体をけっこう醒めた目線でプレイしてたんだけどさ、俳優さんたちの熱演を何時間も続けて見て、自分でも推理してるうちに、 もう、このゲームはこれだけで尊い。良いもの見せてもらいましたって気になってくる。この感じって映画でもドラマでもまず味わえないよね。むしろ演劇とか芝居に近い感じがした」

ふみえ「わかった、真飛聖さんの美魔女ぶりにやられたのね!」

ラブムー「......」

ふみえ「あと兄ちゃんさ、もいっこ良い? このゲームの物語設定って、3つの時代を跨いでて、メインの出演者は同じ役者さんを使い回してるじゃない。そこはちょっと出演料削減?って思っちゃったんだけど」

ラブムー「マルチロールシステムな。俺も最初はそう思った。けどさ、これがプレイしてるうちに、同じ俳優を用いた狙いがわかってきたんだよ。この人、次のシナリオではどんな役で、どんな演技を見せてくれるんだろう? ってだんだん楽しみになった。役者さんたちも物語全体への理解・没入度に繋がっただろうし」

ふみえ「ふむふむ。つまり、プレイすればするほど、松本若菜さん推しになったってことだね?」

ラブムー「(無視して)たしかに生身のキャラクターの魅力、あと実写動画の推進力っていうのは相当に強力だよな。その意味でもこの作品の試みはおおむね幸を成してると思った」

ふみえ「じゃあ、『春ゆきてレトロチカ』をどのような人にオススメする?」

ラブムー「本格推理ゲームをしたいっていう人には、正直諸手を挙げてオススメはしない。そういう人にはもっと頭を使う推理ADVがあるからね。あと、『かまいたちの夜』とか『428』みたいなサウンドノベルがやりたいっていう人にもnot for youかな。さっきも言ったけどノベルゲー的な面白さは希薄だから」

ふみえ「もう! notばかりじゃなくて、声を大にしてFor you!な人を言いなさいよ」

ラブムー「本作に出演してる俳優さんの中で、所謂「推し」がいる人は相当に楽しめるはずです。あと、連続ドラマや邦画のサスペンスものが好きで、これまで推理ADVにそれほど触れたことがないっていう方も買ってソンしません。あと、 これまでにないような手触りのADVゲームを探してる人は絶対やった方がいいです」

ふみえ「でも、邦画1本って考えると......ちょっと価格が高いのかな?」

ラブムー「や、俺も最初はそう思ってたんだけど、最後までプレイしたら、これほど魅力的な俳優さんたちが熱演してる作品に対して、高いとは全く思わなかった」

ふみえ「もしかして......平岡祐太さん推しになった? 似合ってるもんなー、みやびな和服姿」

ラブムー「なあ、妹よ。さっきから黙って聞いてたら、かつて長年起居を共にした妹ながら、お前は俺のことを全くわかってないようだな......」

ふみえ「え、どうして?」

ラブムー「だって、俺がこの作品の中でもっとも胸熱だった俳優さんは......ごにょごにょ」(耳打ちする)

ふみえ「えええー! それは意外」

ラブムー「最後までプレイしてみれば、わかるって! あ、ちなみに本作、最終章は見逃しやすいからくれぐれも気をつけろ。これやらなきゃ話にならんってくらいの超重要シナリオなのに、何故か隠しシナリオレベルの判りづらさだから」

ふみえ「そうなんだ! それは聞いといて良かった」

ラブムー「そして最後に声を大にして言っておきたいのだが」

ふみえ「どーぞどーぞ」

ラブムー「本作のゲーム史的意義はずいぶん大きいと思う。これほど長尺、かつ高いクオリティで制作された実写動画メインの推理ゲームをプレイしたのは長年ゲームやってきて初めてだった。 推理ものADVとしての好みや出来不出来はさて置き、この長大な実写推理ゲームの完成をまずは寿ぎたいと思う。そして次なる実写新本格推理ゲームの登場に繋げて頂きたいと、いちゲームファンとしてせつに願う」

ふみえ「あなた、最後に良いこと言ったかも。あたしもプレイするの楽しみになってきたわ。じゃあこの週末に一気に最後までやろーっと(『春にしてレトロチカ』パッケージを手にして立ち上がる)。じゃ兄ちゃん、サンキューね」

ラブムー「ボソ......(ゲーム好きの妹がいて良かったわ)」 

ふみえ「何か言った?」

ラブムー「言っとらん。こちとら眠くてもうぶっ倒れそうだから......またな!」

FIN

(もし私にゲーム好きの妹がいたら、本作『春ゆきてレトロチカ』クリア後にこうした対話が繰り広げられたかもしれない。しかし現実の私にはそんな妹はおらず、この対話はクリア翌日、私の脳内で夢想されたものだ。
そしてこの架空の対話が端緒となった、次なる記事『春ゆきてレトロチカはおいしいカフェ・オ・レになったか?』(考察編)も只今準備中。もうしばらくお待ちを……)

筆者と妹(に非ず)

"A Short Hike" Review〜 A tiny game, full of compassion〜

 

Well, "A Short Hike" was very different from the game I had somewhat expected before playing it. I don't want to describe this game in vague terms such as "a healing game".

If I were to use an analogy, it would be as if, on the way up a snowy mountain, I was freezing to death, I found a hot spring that seemed to warm me to the core, and when I soaked myself in it, I felt like...am I...crying?

I thought this is a paradise with such hot springs everywhere, this is an incomparable game.

But I believe such a game like this is a place that can never be created by those who have never known the state of being on the edge, frozen in body and soul.
Someone once said, "Only those who have looked into the depths of despair can be truly kind to others".
The cute and deceptively soft atomosphere seems to be supported by the immense tenderness that surges from the very edge of the creater's heart and envelops his wild mind.

The game is perfect in the delicate background music that tugs at your heartstrings at every turn, the graphics, and the character modeling.
I'm not allowed to say "I cried," but I think I actually cried a little bit while playing this game. 

Is tears creepy for a good old adult?
No, of course not. At my age, certainly it is not every day that I cry over a video game.
I think that the tears I shed in this game were probably because I was touched by the "compassion". It was the tenderness of the creator's heart, the kindness of "A Short Hike" that was reflected in every pixel dot, and moreover, the compassion of the game itself.

And I ask myself, what is the rarest charm of "A Short Hike" ?

The fact that it presents the root of the fun/enjoyment of games with a simple point of view. I wrote "fun/enjoyment", but when you play this work, you will deeply realize that  fun is connected to enjoyment straightly.

For example, flying, running around in the mountains, swimming, and so on. Taking "golden feathers" more flying higher, climbing higher. In other words, it is to enjoy and feel every bit of the short hike.

By taking the golden feather, the protagonist Claire gains the ability to fly, lengthening her dwell time and eventually flying all over the island and stretching her legs to places she could not go before.

There is usually "something" there that makes the player happy. It could be another golden feather, an unknown item, a new path, a new coin, a new view, or interaction with a beloved character. You can call it "growth".

The range of movement expands. More things to do. An increase in knowledge and wisdom. The things we gain, the world we see, and the encounters we have with others are all part of a chain of growth. Through growth of mind and body, you will experience the depth, the flavor, and the frustration of life (Though life is only a short period of our lives).

"A Short Hike". I sincerely hope that not only all gamers but also all human beings who live their lives in this world will play this game. The more people play this game, the more the total amount of "compassion" in this world will increase, but only slightly, but surely. So many horrible war might be reduced just a little bit .......

This may be the "idealism of a spoiled gamer".
However, I feel certain games certainly has such power.
The compassion of "A Short Hike" will slowly spread from the heart of just one person --you, me, him, or her -- and eventually fill this world like a hot spring that warms you to the core. Maybe, surely, definitely. 

text by Itsuki Horiuchi