第1章「 Ice Station at 吉祥寺の居酒屋」
昨年の夏、僕は喧騒溢れる吉祥寺の横丁に居た。その日はやたら蒸し暑い晩だったように記憶している。
学生やサラリーマンがビールやホッピーをあおっている狭苦しい居酒屋のカウンターで冷酒をすすりながら、「IGNジャパン」というメディアの記事を片手スマホで読んでいた。それは全くノーマークだった3DSのゲームに関する記事だった。タイトルは『Ice Station Z』。氷、駅?
その記事は「はてなブックマーク」でけっこうバズっていたから読んだことがある人もいるかもしれない。未プレイの僕でもじつに「読ませる」記事だった。ふうん、この手のメディアにも面白い記事を書く人がいるものだな……などと感心しつつ酒を飲み干した。
その記事のおかげで『Ice Station Z』が頭から離れなくなっていた僕は、帰りの駅で3DSを取り出すと、テザリングでDLした。税込500円。やはり価格は重要である。5000円出して失敗したら目も当てられない。
そのようにして、僕はこのゲームのタイトルからすると相応しいであろう、駅ホームのベンチで『Ice Station Z』をプレイし始めた。
第2章「 Ice Station 謎の魅力」
結論から言うと、『Ice Station Z』にはおおいにハマった。たしかに、まともなサバイバルゲー/オープンワールドTPSとしては話にならない代物なのだろう。
このゲームをやったことのない人に説明するとしたら、非ゲーマー勢には「雪山でゾンビと戦いながらみんなで撃ち合いするゲーム」。ゲーマー勢には「『レッド・デッド・リデンプション・アンデッド・ナイトメア』と『PUBG』を足して100倍お粗末にしたようなゲーム」とでも言えば伝わるだろうか。UNITYに慣れた人なら、3日くらいで作れるかもしれない(僕には作れないが)。
ところが実際にプレイしてみると、天然ボケっぽい絶妙なセンスと乱雑な作り、そしてオンライン機能と3D立体視の実装がこのゲームを「ク○ゲー」から「謎の魅力ゲー」に押し上げているように思えた。
想像以上に暗く、想像以上に広大なマップ。
灰色の雪景色に突如鳴り響く無邪気な声「ボイチャやろーよ」。
しつこく追いかけてくるゾンビの枯れた呻き声。
誰かがマイクに向かって流している、音割れしまくった大森靖子の歌声。
誰かが誰かを追撃しているであろう、鳴り止まないチープな銃声。
そこにカクカクポリゴン立体視と、飛び交うカオスなボイチャが相まって、醸し出される奇妙なノスタルジア。やがて図らずも、シュールでアンニュイでローファイな『Ice Station Z』という奇妙に魅力的な世界が現出する。
僕は「Buki Doko(武器どこ)」と「PK yameyou(プレイヤーキルやめよう)」といったメッセージを送りつつ、鬱蒼とした雪山の中を数週間彷徨い続けるしかなかった。
しかし3DSのスライドパッドが壊れてしまったり、その後リリースされた数多くの「まともに楽しい」ゲームたちに追われているうちに、この珍奇なゲームのことはすっかり忘れてしまったのだった。
第3章「 Ice Station 小学生女子との出会い」
1年後の春。
僕は3DS本体を買い替えたことで1年ぶりに『Ice Station Z』の存在を思い出し、「こりゃ相当過疎ってるだろうな……」と思いつつ立ち上げてみたのだった。
殺伐とした雪山風景。暗い雪原と割れた声とローマ字テキストチャットが織りなす世界もあの頃のままだ。アプデは全くされていないようだが、予想に反して過疎ってもいない。プレイヤーの頭数は充分に揃っている。
しかし、おそらくはSWITCHを買ってもらえない(さもなければ、このゲームをわざわざプレイしないだろう)子供たちの「吹きだまり」と化しているのが感じられた。まだ声変りしていないであろう男の子の煽り声に、ある種の倦怠感が聴き取れる。近くで親御さんが流しているのか、ニュースキャスターの割れまくった声が雪原に響き渡っている。流れてくるチャットも1年前よりもどこか「やさぐれている」ような気がする。
つまりは、そこに居る誰も「本気で」ゲームをやっていないであろうことがひしひしと伝わってくるのだった。今や『Ice Station Z』は「ゲーム」という体裁を取った「行き場のない子供たちの暇つぶし/喋り場」に過ぎないのだろうか? あるいは、このデッド感溢れるムードは『3DS』という老齢携帯機の終焉を示唆しているのかもしれない。
そんな荒廃した空間で、僕は「さ●り」という小学生女子プレイヤー(このゲームをやってる女子は、クラスで自分以外にいないと彼女は言う)と知り合った。深夜、彼女と何気ない会話を(ローマ字チャットで)交わしていたら、やたら盛り上がってしまった。ここで2人のつたないチャットを思い出し、抜粋してみよう(かなり気恥ずかしいが)。
僕「zelda de nani suki?」(ゼルダで何好き?)
さ●り「towapuri」(トワプリ)
僕「dosite?」(どして?)
さ●り「atashi ppoikara」(あたしっぽいから)
僕「souka,,,」(そうか、、、)
さ●り「anata wa?」(あなたは?)
僕「boku wa,,,tokoka」(僕は、、、時オカ)
さ●り「siranai」(知らない)
さ●り「nemukunaino?」(眠くないの?)
僕「kimi ga iru nara mada irukedo」(君がいるならまだいるけど)
さ●り「fureko oshieteyo」(フレコおしえてよ)
しかし僕の3DSフレコがわからず(どうやってゲーム中に表示させるんだっけ?)、「お互いのPS3 IDで繋がる」という妙な展開になった。僕はわざわざ別の部屋にあるPS3を立ち上げ、さ●りに教えてもらったIDをフレンド申請した。
しかし、その後さ●りとPS3でメッセージを送り合うことはなかった。あの暗い雪原で、ローマ字チャットでしか交わせないコミュニケーションがあるのだろう。たぶん。
第4章「 Ice Stationという名の…」
翌日の晩。僕はさ●りと会うために『Ice Station Z』を再び始めた。
ほどなく彼女も現れた。そうして我々はまたどちらともなくチャットを始めた。「3DSの調子が良くないから、ボイチャはできないの」と彼女は言う。僕の方も、ボイチャには以前から抵抗感が拭い去れないので好都合だった。
他プレイヤーが「narisumasida(なりすましだ)」「dekitennnokayo-kusa(できてんのかよw)」などといちいち茶々を入れてくるが、我々には——少なくとも僕には——誰かが火炎放射器を噴射してこようが、先の見えない真っ暗雪原で人肉に飢えたゾンビが徘徊していようが、さ●りしか見えていなかった。じょじょにプレイはそっちのけになり、ゾンビに殺されてもプレイヤーキルされても、タッチペンのみによる「ロマンス・チャット状態」に突入していた。僕のキャラは雪山で突っ立っていた。こんな風に。
……
……
……(約30分の省略された会話)
僕「mousugu yoru ga akerune」(もうすぐ夜が明けるね)
さ●り「soudane」(そうだね)
僕「mata aerukana?」(また会えるかな?)
さ●り「yamagoya koreru?」(山小屋に来れる?)
僕「dono yamagoya?」(どの山小屋?)
さ●り「atasi ga iru yamagoya」(あたしがいる山小屋)
僕「sagashite miruyo」(さがしてみるよ)
僕はやおら走り出した。武器も回復道具も何も持っていなかったが、誰にもキルされる気がしない。いや、キルされてもかまわない。僕は何度でも生まれ変わることができる。この先にはどこまでも暗い雪景色が広がり、口の悪いプレイヤーキラーがそこかしこに潜み、ポリゴンゾンビがうろつきまわっていることだろう。
でも、そこには道がある。それはあの子に直接繋がっている道だ。何処かの暗いリビングルームでたった1人3DSとタッチペンを握ってため息をついているあの子へと。いつか3DSが発売中止になって(それほど先の話ではないだろう)、『Ice Station Z』のことを誰もがすっかり忘れてしまっても、さ●り、君がそこにいてくれたらいい。心からそう思った。
エピローグ
誠に遺憾なことだが、さ●りが「中学生男子」であることが、昨晩、本人からのボイチャで明かされた。じつに野太い声だった。その時、他のプレイヤーたちは「wwwwww」を連呼していた。どうやら「なりすまし」はさ●りだったようだ。まあ、こちらとしては相手が小学生女子だろうが中学生男子だろうと同じだけどね……ふん。
FIN