めくるめくメルク丸

ゲーム/哲学/人生

『KUBO/二本の弦の秘密』を観た

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もっと仰々しいタイトルもいくつか考えたのですが、やっぱりこれで。

『KUBO』を観た。こちらの期待を遥かに越える、まごうことなき傑作であった。

もはやこれで済ませても良いような気も……でもせっかくなのでもう少し書きます。

でも、このブログを読んでくれている有り難い方々にはこの世紀の傑作をぜひ観て頂きたいと密かに所望している私なので、物語上の所謂「ネタバレ」っぽいことを記すのは控えようと思います。この「物語」が短いながらもたいへん素晴らしい作品なので、その内奥に触れられないのはいささか残念ではありますが。

今作は粗筋のみを述べると、表面上は古典的な冒険譚・成長物語のようにも見えます。

三味線と語りの得意な主人公・KUBOは母親と平穏な毎日を送っていたのだが、死者を呼び戻す祭りの日、母との約束を破ってしまうことで父母の宿敵姉妹と遭遇する。主人公の出生にまつわるある種の呪い。その呪いを自らの手で絶つことは彼の宿命でもあった。

命からがら村から逃れ、出会った仲間たち(サルとクワガタw)と旅するKUBOは、仲間たちと心を通じ合わせながら、伝説の武具(×3)を集め、親の仇——その根源的存在「月の帝」とついに対峙する……。

ざっくり要約すると、そんなところでしょうか。

このような古来より語り継がれてきたような古典的物語が絶妙に、巧妙にアップデートされている構造はピクサー作品にも通底するものを感じます。そういえば今作、先日観賞したピクサー映画『リメンバー・ミー』に通じるところが幾分あるような。公開時期もかなり近かったし、計らずもピクサーとライカ(今作の製作スタジオ)何か相通じるところがあったのでしょうか。

『リメンバー・ミー』を観た - めくるめくメルク丸

『リメンバー・ミー』は、ピクサー苦手な僕も褒めざるを得ないほど良い映画だったけど、『KUBO』を観た後ではかなり色あせて感じてしまうのも事実。あれは観賞後、もう1度観たいとは思わなかったからな。『KUBO』はこの先何度でも観たいぞっ。

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物語に関してはこれ以上触れないでおくとして、のっけから驚かされたのがその「絵(映像)作り」。「ストップ・モーション・アニメーション(約3秒の映像に1週間!の撮影期間を要するそうです)」という手法の説明を読んでも、実際にどうやってあのようにして融通無碍かつ美麗な映像を作っているのか? 全くわからないし、想像/分析する気にもあまりなれないのですが、これがクレイアニメでもCGアニメでも実写混ぜアニメでも手書きアニメでも、まあ、手法はなんでも佳き哉。いや、良くはないのだけど大事なことは手法や製作期間じゃない。

そこに「表現された世界」にのっけから心底驚かされたのです。完璧すぎる。粋すぎる。心と眼にすんなり同調する。そこに1片の無駄はない。必要な画のみがある。そして物語のキーであるKUBOの三味線からは、物語そのものをぐんぐん前に進ませるような素敵な音楽が紡がれる。

最高の絵(映像)と、最高の音楽と、最高の物語。「最高最高」言うの厭なのですけどね。「最高最高は作り手に対して失礼だろ」とは最近よく思うことで。「どう最高なのか?」を書かなきゃいかんだろ、と。でも……。

『KUBO』を観た。そしてそれは自分にとって最高であった。今日は単純明快に始めて、単純明快に締めます。お許しあれ。機会あれば、次はもう少し冷静かつ有用な感想文が書けると良いのですが。もしこの文を読んで、ちょっとでも『KUBO』が気になったらぜひご観賞ください。きっと後悔はしないと思う。君の心の弦が少しでも震えたら嬉しや。